甚目寺(あま市)

2008年4月27日、2009年3月17日、2014年3月10日撮影

甚目寺(じもくじ)は愛知県西部、名古屋市の北西に隣接するまちです。以前は人口約4万人の「海部郡甚目寺町(あまぐんじもくじちょう)」でしたが、2010年3月に美和町・七宝町と合併し、現在は「あま市」となっています。
古くから鳳凰山甚目寺(甚目寺観音)の門前町として栄えたところで、戦後は名古屋市に近いことから急速に都市化が進みました。元々は旧津島街道(上街道)から甚目寺観音にかけて(甚目寺駅の南側)が街の中心でしたが、狭小な道路が多く、近年は駅の北側の幹線道路沿いに市街地が移ってきています。
周辺には甚目寺観音のほか、漆の神様を祀る漆部神社、全国唯一の漬物の神様である萱津神社など、数多くの史跡が点在しています。

甚目寺地区通称地名:桑丸町(くわまるちょう)、西町東(にしまちひがし)、新西町(しんにしまち)、南松山町(みなみまつやまちょう)、八尻町(はちじりちょう)、東大門南町(ひがしだいもんみなみまち)、沖田町(おきだちょう)、須原町(すはらちょう)、大渕町(おおぶちちょう)、南大渕町(みなみおおぶちちょう)、権現町(ごんげんちょう)、五位田町(ごいだちょう)、西大門町(にしだいもんちょう)、西門前町(にしもんぜんちょう)、西町(にしまち)、牧原町(まきはらちょう)、東門前町(ひがしもんぜんちょう)、門前町(もんぜんちょう)、東大門町(ひがしだいもんちょう)、中町(なかまち)、南町(みなみちょう)、大正町(たいしょうちょう)、江上町(えがみちょう)、天王町(てんのうちょう)、新天王町(しんてんのうちょう)、松山町(まつやまちょう)


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甚目寺駅南口・駅前商店街

名鉄甚目寺駅(南口)

写真にカーソルを重ねると、約5年前の同じ場所の写真が見られます。
名鉄津島線の駅。津島線の中では津島駅に次いで2番目に利用者の多い駅で、2008年以降は特急停車駅となっている。また、構内には数軒のテナントが入っている。
手狭な地平駅だが、2011年に北口が新設されるまではここが唯一の出入口だった。また、2010年ごろにバリアフリー化工事が行われ、駅外観が大きく変化した。

2014/03/10撮影・2009/03/17撮影

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甚目寺駅南口前

写真にカーソルを重ねると、約5年前の同じ場所の写真が見られます。
甚目寺駅の南口から外に出ると、そこはもう駅前商店街。歩行者専用の狭い通りだが、かえって密集感があり賑やかに感じる。
駅前には「甚目寺町商工会」と書かれたアーチが設けられている。かつては旧甚目寺町の町章(左)と商工会のロゴマーク(右)が入っていたが、合併してあま市となった後は町章部分のみ空欄になっている。

2014/03/10撮影・2009/03/17撮影

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甚目寺駅前商店街

甚目寺駅南口から南を眺めたところ。
この道路は鉄道開業前から存在し、蟹江町の須成と清洲を結ぶ柳街道(信長街道)に相当する。

2014/03/10撮影

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甚目寺駅前商店街

旧津島街道(上街道)との交点付近から北を眺めたところ。
正面奥、踏切の向こう側にヨシヅヤ甚目寺店が見える。

2014/03/10撮影

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甚目寺観音

鳳凰山甚目寺(甚目寺観音)

真言宗智山派の寺院。597年に、甚目龍麿(はだめたつまろ)という漁師が魚網に掛かった聖観音像を安置し堂を建てたのが起源とされる。
現在は尾張四観音(甚目寺、笠寺、荒子、竜泉寺)のひとつとして親しまれ、毎年2月の節分会は多くの参拝客で賑わう。
写真は1992年に再建された本堂。

2014/03/10撮影

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三重塔

1627年に再建されたもので、高さ28mは日本有数の高さを誇る。
国指定重要文化財。

2008/04/27撮影

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南大門(仁王門)

1196年に、源頼朝の命により梶原景時が奉行として再建したと伝えられる。
当地出身の戦国武将・福島正則により寄進された木造仁王像が安置されている。
あま市内で最も古い木造建築物であり、国指定重要文化財。

2014/03/10撮影

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東門

墨書銘から1634年の建立とわかる。国指定重要文化財。

2014/03/10撮影

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漆部(ぬりべ)神社

甚目寺観音に隣接する神社。元々は甚目寺観音の鎮守だったが、明治時代の神仏分離令により境内が分離された。
漆を扱う部族の神社と推定され、室町時代の再建といわれる。

2014/03/10撮影

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甚目寺観音東門前の通り(旧津島街道)

旧津島街道(上街道)

旧津島街道は、新川橋(清須市)付近で美濃路と分かれ、現在の名鉄津島線のルートとほぼ並行して津島市に至る街道。少し南側を離れて並行する旧佐屋街道(下街道)と対比して「上街道」と呼ばれることが多い。甚目寺では、甚目寺東門から東に延びる県道124号と、甚目寺南大門から西に延びる西商店街がこの街道にあたる。
写真は甚目寺東門から東を眺めたところ。「甚目寺町商工会」のアーチが設けられている。

2014/03/10撮影

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旧津島街道(上街道)

甚目寺観音に近いこのあたりは、街道であるとともに門前町の風情も感じられる。通称地名でもこのあたりは門前町(もんぜんちょう)という。

2014/03/10撮影

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旧津島街道(上街道)

写真にカーソルを重ねると、約6年前の同じ場所の写真が見られます。
6年経っているが、大きな変化は見られない。

2014/03/10撮影・2008/04/27撮影

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旧津島街道(上街道)

甚目寺駅前商店街との交点から西を眺めたところ。
このあたりが甚目寺の街の古くからのメインストリートにあたる。

2014/03/10撮影

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旧津島街道(上街道)

甚目寺駅前商店街との交点を東から眺めたところ。昔ながらの商店が連なる。

2009/03/17撮影

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旧津島街道(上街道)

甚目寺駅前商店街との交点より東は商店は少なく、住宅街となる。
このあたりは通称地名では江上町(えがみちょう)・天王町(てんのうちょう)にあたる。

2009/03/17撮影

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都市計画道路西今宿東条線

写真にカーソルを重ねると、約5年前の同じ場所の写真が見られます。
旧津島街道(上街道)の甚目寺観音東交差点から南を眺めたところ。
かつては狭隘な交差点だったが、2013年ごろに道路拡幅工事が完了した。

2014/03/10撮影・2009/03/17撮影

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都市計画道路西今宿東条線

写真にカーソルを重ねると、約5年前の同じ場所の写真が見られます。
甚目寺観音東交差点から南を眺めたところ。
昔ながらの風情ある商店が向かい合っていたが、拡幅工事により立ち退きとなった。

2014/03/10撮影・2009/03/17撮影

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甚目寺観音南側の通り(県道200号・西商店街)

県道200号

県道200号(名古屋甚目寺線)は、旧津島街道(上街道)の1本南を並行する通り。
かつてはこの付近にナフコというスーパーがあった。

2014/03/10撮影

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県道200号

写真にカーソルを重ねると、約5年前の同じ場所の写真が見られます。
戦後になって整備された道路だが、古くからの集落を貫いているため道幅が狭く、西行の一方通行になっている。

2014/03/10撮影・2009/03/17撮影

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県道200号

甚目寺南大門の前から東を眺めたところ。

2014/03/10撮影

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西商店街(旧津島街道)

甚目寺南大門の前から西を眺めたところ。「甚目寺町商工会」のアーチが設けられている。
ここから西の区間は「西商店街」と呼ばれ、旧津島街道(上街道)にあたる。

2014/03/10撮影

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西商店街(旧津島街道)

甚目寺小学校の南側付近で。
「西商店街」と名乗ってはいるが、商店は少なく概ね住宅街となっている。

2008/04/27撮影

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西商店街(旧津島街道)

奥に見える高架道路は名二環(撮影当時は東名阪道)。
このあたりは通称地名では西町(にしまち)にあたる。

2008/04/27撮影

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西商店街(旧津島街道)

写真にカーソルを重ねると、約5年前の同じ場所の写真が見られます。
5年の間にお店の数が減っていることが分かる。
旧津島街道(上街道)はこの先も西へと続き、木田、勝幡(愛西市)を経て津島市に至る。

2014/03/10撮影・2009/03/17撮影

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信長街道(柳街道)

信長街道(柳街道)

信長街道(柳街道)は、甚目寺南大門から南に延びる街道。織田信長が19歳の頃、清洲攻めのときに通ったと伝えられる。蟹江町の須成から七宝町の徳実、伊福、桂、大治町の西條、そして甚目寺を経て清洲に通じる。
写真は甚目寺南大門から南を眺めたところ。左奥の大きな建物は甚目寺歴史民俗資料館で、かつてはこの場所に甚目寺町役場があった。

2008/04/27撮影

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道標

甚目寺南大門の前、旧津島街道(上街道)と信長街道(柳街道)の分岐点に立つ道標。享保年間(1716-1735)のものといわれる。
北面には「右 つしまみち」と刻まれており、旧津島街道(上街道)を経て津島に至ることを表している。東面には「左 さ屋まじまみち」と刻まれており、信長街道(柳街道)を経て間島(大治町)へ、さらにそこから旧佐屋街道(下街道)を経て佐屋(愛西市)に至ることを表している。

2008/04/27撮影

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信長街道(柳街道)

由緒ある街道だが、戦後になって道路拡幅され、往時の趣は残っていない。
このあたりは通称地名では西大門町(にしだいもんちょう)・東大門町(ひがしだいもんちょう)にあたる。
さらに南に進むと、大治町の西条地区に至る。

2014/03/10撮影

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南町通り

南町通り

南町通りは、県道200号のさらに南を並行する通り。
写真は甚目寺観音南交差点から東に進んだところ。「甚目寺町商工会」のアーチが設けられている。
このあたりは通称地名では南町(みなみちょう)にあたる。

2014/03/10撮影

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南町通り

甚目寺市街の南端を東西に貫く幹線道路で、戦後になって整備されたことから、比較的新しいお店が多い。

2014/03/10撮影

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南町通り

このあたりは通称地名では松山町(まつやまちょう)・南松山町(みなみまつやまちょう)にあたる。

2014/03/10撮影

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甚目寺駅北口周辺

名鉄甚目寺駅(北口)

甚目寺駅には元々手狭な南口しか無かったが、2011年に北口が新設され、同時に駅前広場も整備された。
かつてはこの場所に気動車特急(北アルプス号)の給油施設があった。

2014/03/10撮影

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甚目寺駅北口前

写真にカーソルを重ねると、約5年前の同じ場所の写真が見られます。
甚目寺駅北口のロータリーと駅前広場。用地買収に難航し、2013年にようやく完成した。
かつてはこの場所に農協会館や農協の倉庫などが建っていた。

2014/03/10撮影・2009/03/17撮影

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ヨシヅヤ甚目寺店

ヨシヅヤは津島市に本店を置くスーパー。甚目寺店は甚目寺駅北口のロータリーに面している。
1974年のオープン以来、レトロな建物で親しまれてきたが、駅前広場開設に合わせて2009年10月に一旦閉店。その後、2011年10月にリニューアルオープンした。

2014/03/10撮影

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甚目寺駅北口の駅前広場

写真にカーソルを重ねると、約5年前の同じ場所の写真が見られます。
農協会館や倉庫の跡にロータリーが整備されたことが分かる。

2014/03/10撮影・2009/03/17撮影

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甚目寺駅北口の駅前広場

写真にカーソルを重ねると、約5年前の同じ場所の写真が見られます。
ヨシヅヤの南側には手狭な駐輪場があった。また、向かい側には農協の倉庫があり、直接駅には面していなかった。

2014/03/10撮影・2009/03/17撮影

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甚目寺駅北口の駅前広場

写真にカーソルを重ねると、約5年前の同じ場所の写真が見られます。
このあたりは2009年の時点で既に、駅前広場整備のため更地になっていた。

2014/03/10撮影・2009/03/17撮影

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甚目寺駅北口の駅前通り

写真にカーソルを重ねると、約5年前の同じ場所の写真が見られます。
甚目寺駅北口のロータリーから北に延びる通り。
現在は幅員約20mの広い通りになっているが、かつては狭い路地だった。

2014/03/10撮影・2009/03/17撮影

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甚目寺駅北口の駅前通り

写真にカーソルを重ねると、約5年前の同じ場所の写真が見られます。
通り沿いには青果店と銀行があったが、いずれも道路拡幅のためセットバックの上建て替えられた。

2014/03/10撮影・2009/03/17撮影

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甚目寺駅北口の駅前通り

写真にカーソルを重ねると、約5年前の同じ場所の写真が見られます。
奥に見えるのが五位田町通り。

2014/03/10撮影・2009/03/17撮影

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甚目寺駅北口から西に延びる通り

写真にカーソルを重ねると、約5年前の同じ場所の写真が見られます。
甚目寺駅北口の駅前広場から西を眺めたところ。このあたりも一部道路の拡幅が行われた。

2014/03/10撮影・2009/03/17撮影

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甚目寺駅北口から北東に延びる通り

甚目寺駅北口から西今宿方面にまっすぐ延びる通り。鎌倉街道と伊勢方面を結ぶ古くからの街道で、近世以降の信長街道(柳街道)にも相当する。
このあたりは通称地名では牧原町(まきはらちょう)にあたる。甚目寺駅に近いため商店も点在しているが、概ね住宅街となっている。

2014/03/10撮影

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五位田町通り

五位田町通り

五位田町(ごいだちょう)通りは、甚目寺駅の北側を東西に貫く通り。戦後になって整備された新しい道路だが、駅に近いため発展が著しい。
写真は五位田交差点を東から眺めたところ。このあたりは道幅が狭い。

2009/03/17撮影

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五位田町通り

五位田交差点から西を眺めたところ。「甚目寺町商工会」のアーチが設けられている。
このあたりは通称地名では五位田町(ごいだちょう)・牧原町(まきはらちょう)にあたる。

2014/03/10撮影

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五位田町通り

写真にカーソルを重ねると、約5年前の同じ場所の写真が見られます。
左側手前の西松屋は、元々ヨシヅヤ電気舘だった。奥のヨシヅヤ本館も建て替えられたことが分かる。

2014/03/10撮影・2009/03/17撮影

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五位田町通り

写真にカーソルを重ねると、約5年前の同じ場所の写真が見られます。
ヨシヅヤが建て替えられ、大きく雰囲気が変わった。

2014/03/10撮影・2009/03/17撮影

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五位田町通り

写真にカーソルを重ねると、約5年前の同じ場所の写真が見られます。
このあたりは以前よりも若干道幅が広くなっている。

2014/03/10撮影・2009/03/17撮影

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五位田町通り

甚目寺駅北口の駅前通りとの交点から東を眺めたところ。
駅に近いためお店も多く、近年はこちらが甚目寺のメインストリートとなりつつある。

2014/03/10撮影

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五位田町通り

甚目寺駅北口の駅前通りとの交点から西を眺めたところ。

2014/03/10撮影

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甚目寺庁舎前の通り

甚目寺町役場(現:あま市役所甚目寺庁舎)

甚目寺市街の北端に位置する。1970年代に甚目寺南大門前(現:甚目寺歴史民俗資料館)から移転してきた。
現在この建物はあま市役所甚目寺庁舎として使われている。

2009/03/17撮影

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甚目寺庁舎前の通り

あま市民病院の東側付近で。この奥で五位田町通りと交差する。

2014/03/10撮影

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甚目寺庁舎前の通り

五位田町通りとの交点から南に進んだところ。
このあたりは通称地名では南大渕町(みなみおおぶちちょう)にあたる。甚目寺駅に近いため発展が著しい。
この先で名鉄津島線の踏切を渡ると、甚目寺の東門前に至る。

2014/03/10撮影

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