西枇杷島(清須市)

2008年1月3日・4月19日・9月6日・12月6日・12月13日撮影

西枇杷島(にしびわじま)は名古屋市の北西に隣接するまちで、地元では「にしび」の愛称で呼ばれています。東海道と中山道を結ぶ美濃路が通り、江戸初期には青果を扱う下小田井(しもおたい)の市が開設され、街道沿いは市場町として大いに発展しました。350年ほど続いた市場は1955年にその歴史に幕を下ろしましたが、今も美濃路沿いには往時の面影が見られ、地元では「本通り」と呼ばれる商店街となっています。
名古屋の都心に近いことから、戦後から急速に都市化が進み、現在はほとんど名古屋市の一部のような状態になっています。JR東海道線と名鉄本線・犬山線、国道22号が通り、交通の便もよく、狭い町内には大きな工場が多数ひしめき合っています。2000年9月の東海豪雨では新川が決壊し、町域の大半が浸水する大災害となりましたが、まちは順調に復興を遂げています。


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周辺マップ

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美濃路(杁西町)

美濃路(杁西町)

美濃路は東海道の熱田(名古屋市)と中山道の垂井(岐阜県垂井町)を結ぶ脇街道で、西枇杷島町の南端部を東西に貫いている。この道が昔からのメインストリートで、地元では「本通り」と呼ばれている。
このあたりは杁西町(いりにしちょう)。実際の住居表示とは異なる通称地名で、「ここは杁西町町内会 (公称 南二ツ杁)」というような看板が掲げられている。
奥に見えるアーチは旧西枇杷島町と旧新川町の境界で、そこから先は旧新川町の坂町となる。

2008/12/06撮影

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美濃路(杁西町)

この付近の庄内川に「備前杁」という排水設備があったことから「二ツ杁(ふたついり)」という地名となり、東西に分かれて杁西町・杁東町となった。
毎年6月に行われる西枇杷島まつりでは、杁西町・西六軒町東六軒町問屋町橋詰町の5町から山車が出る。ここ杁西町からは「頼光車(らいこうしゃ)」が曳かれる。

2008/12/06撮影

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美濃路(杁西町)

杁西町の先は杁東町となる。

2008/12/06撮影

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一休庵

杁西町の美濃路沿いにある、古い町家を改修した交流施設。2007年10月にオープンした。土産物などが売られているほか、西枇杷島まつりに関する資料などが展示されている。
1897年の築といわれ、「屋根神様」が祀られている。屋根神様は美濃路を始めとし、名古屋近郊の旧街道沿いの町家でよく見られる厄除けの祠。
この一休庵に次いで、2008年11月には同じ美濃路沿いの坂町(旧新川町)に飴茶庵という交流施設もオープンした。

2008/12/06撮影

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美濃路(杁東町)

美濃路(杁東町)

杁西町の東は通称:杁東町(いりひがしちょう)。非常に短い区間で、その先は松原町となる。

2008/12/06撮影

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美濃路(松原町)

三階建ての町家

杁東町の東は通称:松原町(まつばらちょう)。
写真は1891年築の町家で、西枇杷島町内で唯一戦前に建てられた木造三階建て。現在は改修されているが、当初は開口部の全てが格子戸だったそうだ。長らく「麦(ばく)」というお好み焼き屋を営んでいたが、2007年ごろに閉店した。

2008/12/06撮影

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閑所

三階建ての町家の左手に、屋根のある路地がある。このような路地のことを、この地方では「閑所(かんしょ)」と呼ぶ。奥へ進むと二ツ杁駅方面へ抜けられる、地元でも知る人ぞ知る抜け道。

2008/12/06撮影

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美濃路(松原町)

1935年までこのあたりに西枇杷島警察署があったが、現在は県道(旧国道22号)沿いに移転している。かつては郵便局や役場、保健所などもこの近くにあったが、郵便局・役場は町北部の県道(旧国道22号)近くへ、保健所は師勝町(現:北名古屋市)に移転した。

2008/12/06撮影

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美濃路(松原町)

二ツ杁駅前の通りとの交点付近から東を眺めたところ。

2008/12/06撮影

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松原神社

松原町の美濃路沿いにある神社。1668年の創建で、須佐之男命を祀る。

2008/12/13撮影

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美濃路(松原町)

JR枇杷島駅前の通りとの交点付近から西を眺めたところ。
これより東、松原町の先は西六軒町となる。

2008/12/06撮影

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美濃路(西六軒町)

美濃路(西六軒町)

松原町の東は通称:西六軒町(にしろっけんまち)。かつて6軒の問屋があったことからその名が付いたという。
西枇杷島まつりではここから「紅塵車(こうじんしゃ)」が曳かれる。

2008/12/06撮影

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美濃路(西六軒町)

昔ながらの風情のお店が多い。

2008/12/13撮影

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問屋記念館

下小田井の市の創始者の一人である山田九左衛門(くざえもん)の住居。もともと橋詰町にあったのを、1992に移築復元したもの。明治初期の築だが、江戸時代の様式を伝えている。
市指定文化財。

2008/12/13撮影

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昭和初期の下小田井の市(ジオラマ模型)

下小田井の市は17世紀初頭に、徳川家康の命によって開設された。江戸の神田、大坂の天満に並ぶ日本三大市場といわれ、約350年にわたって名古屋城下の台所を担い続けた。市場は1955年に名古屋市内に移転・統合され、その後身が現在の北部市場(豊山町)である。
写真は、問屋記念館に展示されているジオラマ模型。手前の断面模型が山田九左衛門家。

2008/12/13撮影

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問屋記念館の内部

典型的な青果問屋の土間と帳場が再現されている。

2008/12/13撮影

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問屋記念館の内部

離れから中庭越しに主屋を眺めたところ。建物は間口が狭く奥行きが広い、いわゆる「うなぎの寝床」になっている。

2008/12/13撮影

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美濃路(西六軒町)

問屋記念館付近から東を眺めたところ。街道はゆるくカーブしている。

2008/01/03撮影

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みのじの館

西六軒町の美濃路沿いにある町家。2002年から美濃路まちづくり推進協議会の事務所として使われている。

2008/12/06撮影

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みのじの館の内部

美濃路のまちづくりに関する資料などが展示されていて興味深い。

2008/12/06撮影

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美濃路(西六軒町)

写真の中ほどから左へ分かれている路地(閑所)は、名鉄西枇杷島駅方面への近道になっている。
西六軒町はこのあたりまで。ここから先は東六軒町となる。

2008/12/06撮影

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美濃路(東六軒町)

美濃路(東六軒町)

西六軒町の東は東六軒町(ひがしろっけんまち)。西枇杷島まつりではここから「泰亨車(たいこうしゃ)」が曳かれる。

2008/12/06撮影

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美濃路(東六軒町)

写真は東六軒町のほぼ中央、六軒神社のあたり。

2008/12/06撮影

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美濃路(東六軒町)

東六軒町の東端、JR・東海道線のガード付近から西を眺めたところ。このあたりから先は問屋町となる。

2008/12/06撮影

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美濃路(問屋町)

美濃路(問屋町)

東六軒町の東、JR・東海道線のガードから先は問屋町(とんやまち)。西枇杷島まつりではここから「頼朝車(よりともしゃ)」が曳かれる。
下小田井の市はもともとこのあたりにあったそうだ。

2008/12/06撮影

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美濃路(問屋町)

街道沿いらしく、旅館なども見られる。

2008/12/06撮影

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美濃路(問屋町)

旧国道22号との交差点から西を眺めたところ。以前は街道沿いにびっしりと建物が連なっていたが、1999年の東海豪雨をきっかけに堤防改修工事が進み、多くの建物が取り壊された。また、このあたりに下小田井の市をモチーフにした「にしび夢だいこん」のモニュメントがあったが、橋詰町に移設された。
問屋町はここまでで、旧国道22号から先は橋詰町となる。

2008/12/06撮影

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美濃路(橋詰町)

美濃路(橋詰町)

問屋町の東、旧国道22号との交点から東は橋詰町(はしづめちょう)。西枇杷島まつりではここから「王義之車(おうぎししゃ)」が曳かれる。
西六軒町の問屋記念館の建物(山田九左衛門家)は、もともとこのあたりにあった。堤防改修工事によって道路右側の建物は取り壊され、左側の建物もほとんどが新しく建て替えられており、街道の面影はほとんど残っていない。

2008/12/06撮影

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道標

1827年に、美濃路と岩倉街道の分岐点(追分)である枇杷島小橋のたもとに建てられたもの。現在は橋詰町の中ほどに移設されている。
「東 にしハ つし満てん王う きよす宿みち(西は津島天王・清洲宿道)」「西 飛がしハ とうかゐだう なごや道(東は東海道・名古屋道)」「南 文政十年 丁亥七月吉日」「北 い王くら道(岩倉道)」と刻まれている。

2008/12/06撮影

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尾張名所図会起こし「にしび夢だいこん」

下小田井の市をモチーフにした、大根を担ぐ裸男のモニュメント。江戸末期に編纂された「尾張名所図会」のイラストに基づいて作られた。
もとは問屋町旧国道22号沿いの非常に目立つところにあったが、堤防改修工事に伴い、2008年3月ごろ、道標とともに橋詰町に移設された。

2008/12/06撮影

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美濃路(橋詰町)

昔はこのあたりに枇杷島橋が架かっていて、押切町(西区)を経て名古屋城下へ続いていた。1935年に新しく国道(現在は県道に降格)が開通した際、橋はややずれた位置に架け替えられた。

2008/12/06撮影

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岩倉街道(橋詰横町)

岩倉街道は、橋詰町付近で美濃路と分かれて庄内川沿いを北へ進む道。橋詰町のうち、旧岩倉街道沿いは通称「橋詰横町」と呼ばれる。右側に写っているのは「王義之車(おうぎししゃ)」の山車蔵。
写真の地点には名鉄の枇杷島分岐点があり、美濃路沿いに走る名古屋本線と、岩倉街道沿いに走る犬山線とが分岐している。このあたりは本数が非常に多く、名鉄有数の開かずの踏切として知られている。

2008/12/13撮影

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岩倉街道(橋詰横町)

清須市内の岩倉街道は、庄内川の堤防に沿って通っている。この先、清須市と名古屋市の交点付近で堤防から降り、中小田井、西春岩倉方面へ続く。

2008/12/13撮影

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▼西枇杷島(清須市)その2に続く▼


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