コラム・街の賑やかさと「ゴチャゴチャ」感 〜名古屋を例に〜
私は生まれてから現在まで、最も長い時間を名古屋市(とその周辺)で過ごしてきました。名古屋はよく、東京・大阪に並ぶ日本三大都市などと言われ、また多くの名古屋人がそのことを誇らしく思っています。しかし以前、金沢市や倉敷市、高松市などを訪れたとき、その街並みからは名古屋以上のエネルギッシュな活気を感じました。都市規模から考えると名古屋よりも小さいはずのこれらの都市にこんな賑やかさがあると知り、驚くと同時に新鮮な気分になりました。
製造業が盛んで景気が上向き、「元気な名古屋」と言われているのに、なぜ名古屋はそのような活気に乏しいのでしょうか。最も大きな理由として、あまりに街並みが整然としすぎていることが考えられます。直線的な街路は城下町に由来するものですが、戦後の都市計画によって、名古屋は街じゅうに広い道路が敷かれ、スタイリッシュなビル街となりました。これは、名古屋の街並みが持つ最大の特徴であり、長所であり短所でもあると思います。かの石原裕次郎が、名古屋のことを「白い街」と歌っていました。「白い」という言葉には様々な解釈が考えられると思いますが、この歌の場合は、色彩がなく、味気ない、つまり殺風景という悪いイメージが一般的に持たれています。
現在、名古屋駅の駅前(東口)ではかつてない勢いで再開発が行われ、雨後の竹の子のように超高層ビルが次々と建っています。確かに、摩天楼というにふさわしいビル街の景観は、都会的で洗練されたものではあります。しかし、「駅裏」と呼ばれ怪しげなイメージが付きまとう西口の方に、私はそこはかとない魅力を感じます。建物は全体的に低層で古く、雑然としていますが、その一方で、一つ一つの建物からそれぞれ個性的なオーラが発せられ、そこにしかない景観を作り上げているのです。
また、名古屋市の北東部に大曽根というところがあります。JR中央線、地下鉄名城線、名鉄瀬戸線、そしてゆとりーとラインが集まる交通の拠点なのですが、その街並みにはどこか物足りなさを感じます。一大再開発事業がつい先ごろ完了したばかりなのに、です。駅前には片側何車線もある広い道路が交差し、ひっきりなしに車が往来しているのですが、どこかだだっ広くて寂しい印象を覚えるのです。かつて大曽根の駅前は、狭苦しくてゴチャゴチャした中に古びた商店が連なり、昭和の香りを感じさせる全蓋式アーケードもあったのですが、再開発の際、時代遅れな存在として全て取っ払われました。個人的にはあの頃の大曽根の方が今より何倍も活気があったように思います。
このほか、かつての名古屋は、夜になると赤ちょうちんの屋台があちこちに立ち並んだそうです。しかしこれも、景観上の理由から条例で禁止され、廃れたそうです。福岡市などのように屋台が名物になっているところを見ると、なんて勿体無いことをしたんだ、と思います。
あくまで私の考えですが、賑やかさの中には「ゴチャゴチャ」感、つまり人間臭い乱雑さが不可欠ではないかと思います。新興住宅地やニュータウンの整然とした街並みを見ると、洗練されていてすっきりしている反面、どこか無機質なものを感じます。その一方、大阪のミナミや道頓堀、東京の下町の路地裏など、決して上品とは言えないけれど、どこかホッとするものがあります。名古屋にもそのようなところがないわけではなく、大須商店街などはその典型例なのですが、大須全体が一種のテーマパーク化している感があり、繁華街の栄とは切り離された存在に見えます。それでも、やたら高いビルばかり注目するのではなく、大須のような場所が残っていることを名古屋人はもっと見直すべきだと思います。
もっとも、これからの時代は、防災上の安全性やバリアフリーが優先課題であり、理想とされるコンパクトシティと賑やかさとの両立は難しい問題だと思います。私は都市計画に関して本格的なことを学んでいないので、偉そうなことを言える立場ではないのですが、効率ばかりを求めすぎず、心に余裕のある街づくりを進めていってもらいたいものです。
写真:名古屋の都心部を貫く桜通(上)/名古屋の下町、大須の万松寺通商店街(下)
(2008年11月記す)