押水(羽咋郡宝達志水町)

2008年5月6日・8月1日・8月26日・10月30日撮影

押水(おしみず)は石川県の中央部、能登最高峰の宝達山の麓に位置するまちです。津幡と七尾(所口)を結ぶ内浦街道沿いに栄えてきましたが、金沢からほど近い距離のため、現在は金沢に通勤・通学する人が多く、主に住宅地となっています。2005年までは羽咋郡押水町でしたが、隣の志雄町と合併して宝達志水町(ほうだつしみずちょう)となりました。


Mapionのマークをクリックすると、撮影場所の地図が開きます。

宝達駅周辺

宝達駅西口風景

宝達(ほうだつ)駅は、金沢と能登を結ぶJR七尾線の駅。1898年に七尾鉄道の駅として開業した。
写真の右側の建物が宝達駅西口の駅舎。駅前は小さな広場になっていて、お店が数軒あるほかは概ね住宅街。かほく市営バスの停留所もあるが、本数は少ない。

2008/05/06撮影

Mapion

宝達駅前の通り

宝達駅西口と国道249号を結ぶ通り。

2008/08/01撮影

Mapion

宝達志水町役場押水庁舎

旧押水町役場。宝達駅前の通り沿いにある。

2008/08/01撮影

Mapion

県道229号

宝達駅の北側を東西に通る道。

2008/08/01撮影

Mapion

宝達駅東口駅舎

宝達駅にはもともと西口しかなかったが、旧押水町によって東口にも駅舎が建てられた。駅前には駐車場とロータリーが設置されている。

2008/05/06撮影

Mapion

国道249号(今浜新道)

国道249号(今浜新道)

旧内浦街道のバイパスとして1925年に新しく造られた道路で、地元では今浜新道(いまはましんどう)と呼ばれている。
写真は今浜交差点から南を眺めたところ。羽咋駅高松駅を結ぶ北鉄能登バスの小川バス停がある。

2008/08/01撮影

Mapion

国道249号(今浜新道)

今浜交差点から北を眺めたところ。このあたりが旧押水町の中心地になる。
内浦街道の旧道は、この北西の海沿いを通っている。

2008/08/01撮影

Mapion

宝達川周辺

宝達川のトンネル

宝達川は、押水地区の中央を東から西へ流れる川。
写真は押水地区の東部を通る国道471号。川底が地上よりも高いところにある(天井川)ため、橋ではなくトンネルでくぐっている。

2008/08/01撮影

Mapion

ひまわり畑

宝達小学校の近くにはひまわり畑があり、毎年夏になると美しく咲き誇る。

2008/08/01撮影

Mapion

宝達駅とJR七尾線

宝達駅のホームから南側を眺めたところ。JR七尾線は奥に見えるトンネルで宝達川をくぐっている。このトンネルの断面が小さすぎて交流電化にできなかった(交流は高電圧なので断面が広くないといけない)ため、七尾線は直流電化になったそうだ。

2008/08/01撮影

Mapion

宝達川河口と日本海

宝達川の河口は日本海に注いでいる。海岸に沿って能登有料道路が通っている。

2008/05/06撮影

Mapion

加賀藩十村役代官所 喜多家

表門

喜多家は押水地区南部の北川尻にある旧家で、新田義貞の三男、義宗の末流にあたる。「十村役」とは加賀藩独自の農村支配機構で、庄屋と代官所の役割を併せたようなもの。
金沢から8里で、駕籠だとちょうど一日かかる距離なので、藩主が金沢を出発して最初に宿泊する場所、すなわち本陣となっていた。そのため、建物は外から目立たないように深く掘られたすり鉢状の地形の中に建てられており、敷地全体が国指定の重要文化財になっている。

2008/10/30撮影

Mapion

十村役門

見学者が少なかったため、当主が建物の外から中まで丁寧に解説してくださった。
写真は、富樫氏(野々市町)の門を拝領して移築した十村役門。

2008/10/30撮影

主屋

1718年築。左から順に藩主専用の大式台、奉行・家老用の小式台、役人用の表玄関、十村役(平民)用の内玄関と、身分によって分けられた4つの玄関がある。また、武士と平民は同じ屋根の下に座ることは許されなかったため、右端にある十村役の部屋は屋根が別々になっている。

2008/10/30撮影

主屋 溜りの間

向かって一番右側にある、十村役が利用していた部屋。
左側の奥は武士の部屋である本座敷で、間には約15cmの段差が設けられている。このわずかな段差を、平民は決して跨ぐことが許されなかった。

2008/10/30撮影

主屋 本座敷

武士が利用していた部屋。
中央に見えるのが調詞所。ここに武士が座り、屋外(格子戸の向こう側)の農民と、年貢などについて話し合っていたという。格子戸は断面が台形になっていて、内側から外側はよく見えるが、外側から内側は見にくくなっている。これは、農民が武士と向かい合っても気兼ねなく対話ができるように、顔を見えづらくするための気遣いなのだそうだ。

2008/10/30撮影

主屋 大式台の内側

藩主専用の入口である大式台の内側。奥にある謁見の間まで畳の縁を踏まずに進めるように、中央の畳は一直線に敷かれている。

2008/10/30撮影

主屋 御次の間

藩主が着替えをするための部屋。と言っても、実際に藩主が来たのは2回だけだったという。

2008/10/30撮影

主屋 御座の間

御次の間の隣にある部屋で、ここが藩主の寝室だった。

2008/10/30撮影

主屋 武者かくしの間

御座の間の掛け軸の裏側にある隠し部屋。藩主が寝ている間は、ここで護衛の武士が夜通し見張りをしていた。何か事が起きたときは、壁がひっくり返って掛け軸のところから出られるようになっていた。
護衛の武士が冷静に精神統一できるようにと、壁はすべて緑色に塗られている。

2008/10/30撮影

主屋 御手水と湯殿

建物の端にある、藩主のための御手水と湯殿。今風に言えばユニットバスとのこと。

2008/10/30撮影

喜多蔵

米蔵だった建物を改装した資料館。喜多家にまつわる資料が展示されている。
最近まで現役の米蔵として使っていたが、床が破損したのをきっかけに改装したら、文化財指定を解除されてしまったそうだ。

2008/10/30撮影


最後までご覧いただき、ありがとうございます。




石川県に戻る

TOPページに戻る




inserted by FC2 system