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表門
喜多家は押水地区南部の北川尻にある旧家で、新田義貞の三男、義宗の末流にあたる。「十村役」とは加賀藩独自の農村支配機構で、庄屋と代官所の役割を併せたようなもの。 金沢から8里で、駕籠だとちょうど一日かかる距離なので、藩主が金沢を出発して最初に宿泊する場所、すなわち本陣となっていた。そのため、建物は外から目立たないように深く掘られたすり鉢状の地形の中に建てられており、敷地全体が国指定の重要文化財になっている。
2008/10/30撮影  |
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十村役門
見学者が少なかったため、当主が建物の外から中まで丁寧に解説してくださった。 写真は、富樫氏(野々市町)の門を拝領して移築した十村役門。
2008/10/30撮影 |
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主屋
1718年築。左から順に藩主専用の大式台、奉行・家老用の小式台、役人用の表玄関、十村役(平民)用の内玄関と、身分によって分けられた4つの玄関がある。また、武士と平民は同じ屋根の下に座ることは許されなかったため、右端にある十村役の部屋は屋根が別々になっている。
2008/10/30撮影 |
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主屋 溜りの間
向かって一番右側にある、十村役が利用していた部屋。 左側の奥は武士の部屋である本座敷で、間には約15cmの段差が設けられている。このわずかな段差を、平民は決して跨ぐことが許されなかった。
2008/10/30撮影 |
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主屋 本座敷
武士が利用していた部屋。 中央に見えるのが調詞所。ここに武士が座り、屋外(格子戸の向こう側)の農民と、年貢などについて話し合っていたという。格子戸は断面が台形になっていて、内側から外側はよく見えるが、外側から内側は見にくくなっている。これは、農民が武士と向かい合っても気兼ねなく対話ができるように、顔を見えづらくするための気遣いなのだそうだ。
2008/10/30撮影 |
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主屋 大式台の内側
藩主専用の入口である大式台の内側。奥にある謁見の間まで畳の縁を踏まずに進めるように、中央の畳は一直線に敷かれている。
2008/10/30撮影 |
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主屋 御次の間
藩主が着替えをするための部屋。と言っても、実際に藩主が来たのは2回だけだったという。
2008/10/30撮影 |
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主屋 御座の間
御次の間の隣にある部屋で、ここが藩主の寝室だった。
2008/10/30撮影 |
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主屋 武者かくしの間
御座の間の掛け軸の裏側にある隠し部屋。藩主が寝ている間は、ここで護衛の武士が夜通し見張りをしていた。何か事が起きたときは、壁がひっくり返って掛け軸のところから出られるようになっていた。 護衛の武士が冷静に精神統一できるようにと、壁はすべて緑色に塗られている。
2008/10/30撮影 |
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主屋 御手水と湯殿
建物の端にある、藩主のための御手水と湯殿。今風に言えばユニットバスとのこと。
2008/10/30撮影 |
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喜多蔵
米蔵だった建物を改装した資料館。喜多家にまつわる資料が展示されている。 最近まで現役の米蔵として使っていたが、床が破損したのをきっかけに改装したら、文化財指定を解除されてしまったそうだ。
2008/10/30撮影 |