引田(東かがわ市)

2007年6月23日、2009年5月6日・5月9日撮影

引田(ひけた)は香川県の最東端、瀬戸内海に面したまちです。天然の良港として知られる引田港と、高松と阿波(徳島県)を結ぶ阿波街道があり、古くから東讃随一の商都として発展を続けてきました。また、中世には引田城が築かれ、港町であると同時に城下町としても栄えました。その名残で、今も中心街は碁盤の目状に区切られ、街路ごとに草木町、大工町、久太郎町、魚の棚といった通称地名が割り当てられています。漁業も非常にさかんで、1927年には野網和三郎によって世界初のハマチ養殖に成功しました。
近年は人口の減少とともに産業も衰え、以前ほどの賑わいは見られなくなりましたが、古い街並みを生かした観光地化や、JR四国とタイアップしたイベントが進められています。特にひなまつりは有名で、毎年多くの訪問客が訪れます。


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ガイドマップ

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また、東かがわ市発足以前に製作したものなので、一部情報が古くなっています。ご了承ください。

引田駅周辺

JR引田駅

引田の街の玄関口。高松と徳島を結ぶ特急うずしお号の大半が停車する。この駅から東は香川・徳島県境の峠越え区間なので、高松から来る列車の半数ほどはここで折り返す。
駅前からは高松方面の大川バスと鳴門方面の鳴門市営バスが発着している。

2009/05/06撮影

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引田駅前の通り

国道11号の引田駅前交差点から北へ伸びる通り。お店がちらほらあるが、基本的には住宅街。

2009/05/09撮影

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引田駅前の通り

旧阿波街道(大道1・2丁目)との交点から北を眺めたところ。左奥に見えるのは引田小学校。

2009/05/09撮影

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引田駅付近の路地

写真にカーソルを重ねると、約2年前の同じ場所の写真が見られます。
引田駅前の通りの1本東側の通り。概ね住宅地だが、郵便局や飲食店などがある。

2009/05/09撮影・2007/06/23撮影

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国道11号

国道11号

市街地の西のはずれ、小海踏切交差点付近で。

2007/06/23撮影

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国道11号

国道11号は高松と徳島を結ぶ主要幹線道路で、交通量が多い。旧道の旧阿波街道沿いから移転してきた店が多いようだ。
引田地区ではJR高徳線の線路とほぼ並行している。

2009/05/06撮影

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国道11号

引田駅前交差点から西を眺めたところ。
右側には大川バスの引田車庫があり、長尾街道(長尾三木)経由で高松と結んでいる。引田と徳島県鳴門市を結ぶ鳴門市営バスもここから発着している。

2009/05/06撮影

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国道11号

引田駅前交差点から東を眺めたところ。

2009/05/06撮影

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国道11号

2009/05/06撮影

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国道11号

2009/05/06撮影

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東かがわ市役所 引田庁舎

旧引田町役場。国道11号沿いに位置する。

2009/05/06撮影

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国道11号

市街地の東端付近。

2009/05/06撮影

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本町・木場・大明神(旧阿波街道)

本町1丁目

本町通りは高松と阿波(徳島県)を結ぶ旧阿波街道にあたり、古代の南海道に由来する。
写真は寺町・中の丁の通りとの交点から南東を眺めたところ。左側のユーマート・ウジハラは元は小さなスーパーだったが、2005年に改装され、店内で食事もできるようになった。

2007/06/23撮影

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本町1丁目

このあたりは旧来からの引田のメインストリートで、昔はボンネットバスも走り、常に人通りが絶えないほど賑やかだったそうだ。

2009/05/06撮影

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本町2丁目

2009/05/06撮影

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本町2丁目

右側の建物は山本醤油醸造元(山本家住宅)。建てられたのは明治期と言われるが、江戸時代の商家の様式が各所に見られる。
以前は醤油蔵や麹室(こうじむろ)などもあったが、1984年に高松市屋島の四国村(四国民家博物館)に移築・復元された。

2009/05/06撮影

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通称地名の案内板

本町通りの裏通り、浜2丁目のあたりで。色褪せて読みにくくなっているが、「交通安全 宣言都市」「こゝは 引田町二丁目」「銘菓 茶の友 電話○○○○」と書かれている。
本町地区と浜地区では、「本町」・「浜」を省略して単純に「何丁目」と表現することが多い。

2009/05/09撮影

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本町3丁目

写真にカーソルを重ねると、約2年前の同じ場所の写真が見られます。
3丁目付近には開閉式の簡易なアーケードが設けられている。約2年前に撮った写真では、アーケードが閉じられていた。

2009/05/06撮影・2007/06/23撮影

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本町3丁目

現在アーケードはほんの短い区間のみだが、昔はもっと長い区間にわたって設置されていたそうだ。

2009/05/06撮影

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本町3丁目

左側の建物は1930年築の長崎家住宅。
長崎家は江戸時代後期から昭和初期まで廻船業を営んでいた家で、1980年まではこの場所で醤油の製造も行われていた。裏手にある醤油蔵は改装され街かどギャラリー「遊遊」となっている。

2009/05/06撮影

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本町4丁目

撮影当時、このあたりにはアーケードの支柱の残骸らしきものが残っていた。

2007/06/23撮影

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本町4丁目

上の写真とほぼ同じ場所。アーケードの支柱の残骸は撤去されていた。

2009/05/06撮影

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本町4丁目

2009/05/06撮影

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本町4・5丁目

2009/05/06撮影

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本町6丁目

本町通りの南東部。街外れになるにつれ、徐々にお店も少なくなっていく。

2009/05/06撮影

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浜6丁目(岡浜通り)

本町通りの北東側(海側)は浜と呼ばれる地区で、岡浜通り、中浜通り、大浜通りと呼ばれる細い道が並行している。写真は本町通りの隣の岡浜通り。

2009/05/09撮影

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本町7丁目

本町7丁目・木場

市街地の東端を流れる足谷川を渡ると、木場(きば)地区となる。
橋の奥には、昔の旅籠の面影を残す水谷屋旅館がある。現在は廃業されているが、昔は要人たちが宿泊したそうだ。

2007/06/23撮影

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大明神1丁目

木場のさらに東側は大明神(だいみょうじん)地区。街外れだが、街道の趣が残っている。

2009/05/06撮影

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大明神2丁目

大明神2丁目

ここからさらに進むと、相生地区、大坂峠を経て徳島県に至る。

2007/06/23撮影

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寺町・大道(旧阿波街道)

道標

本町・寺町・中の丁の通りの交点にある道標。「左こんひらみち(琴平道)」「右へんろみち(遍路道)」と書かれている。写真では右側が西、左側が東だが、実際の方向は逆だ。おそらく道路拡幅か何かの際に移設され、向きが逆になってしまったのだろう。
ともあれ、本町から北西へ進んできた旧阿波街道はここで左に折れ、進路を西に変えて寺町となる。

2009/05/06撮影

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寺町

寺町は本町に次いでお店が多く、昔ながらの面影も残っている。

2009/05/06撮影

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積善坊(しゃくぜんぼう)山門

旧阿波街道に面したところにある真言宗の寺院。正確には東面山西向寺積善坊という。山門の仁王像は積善坊のシンボルで、四国随一の大きさと言われている。

2009/05/09撮影

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善覚寺(ぜんかくじ)山門

積善坊の南側にある浄土真宗の寺院。山門は引田城の門を移築したと言われている。
このさらに南側には讃岐三十三観音の一つである真言宗の萬生寺(まんしょうじ)もあり、寺が3つも並んでいる。寺町の地名の通り、引田城下の時代に計画的に配置されたのだろう。

2009/05/09撮影

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寺町

積善坊の山門の前から西を眺めたところ。

2009/05/09撮影

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寺町

積善坊からしばらく西へ進んだところ。

2009/05/09撮影

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大道1丁目

このあたりから先は大道(おおみち)地区となる。
左側の車が止まっているところにはかつて中国銀行があったが、2002年に閉鎖となり、現在は空き地になっている。

2009/05/09撮影

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大道2丁目

引田駅前の通りとの交点から西を眺めたところ。

2009/05/09撮影

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大道2丁目

2009/05/09撮影

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大道2・3丁目

2009/05/09撮影

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マルナカ引田店

旧阿波街道(大道)から少し奥へ入ったところにあるスーパー。

2009/05/09撮影

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中の丁

中の丁

中の丁(なかのちょう)は寺町通り・本町通りの交点から北へ伸びる通り。写真はその交点から北を眺めたところ。
右側の歯科医院はかつて中国銀行だった建物。中国銀行はその後寺町に移転し、2002年に閉鎖となった。

2009/05/06撮影

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中の丁

虫籠窓の町家が連なる。元はこの左側の建物が歯科医院だったそうだ。

2009/05/06撮影

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松村家・泉家

中の丁には、江戸時代末期に建てられたと言われる2軒の町家が並んでいる。
手前の松村家は薬種商・医院を営んでいた家で、1928年からは書店と文具店も併設していたという。現在書店はマルナカ引田店の近くに移転している。
奥の泉家は明治期より海産物の販売を営み、大正末期から1953年までは煮干の製造も行っていたそうだ。

2009/05/09撮影

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煙突広場

松村家・泉家の向かい側に建つ煙突。焼酎を造っていた名残だそうだ。

2009/05/06撮影

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中の丁

大工町通りとの交点から北を眺めたところ。

2009/05/06撮影

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中の丁

このあたりは特に古い建物が多く、引田御三家と呼ばれる旧家の日下家、岡田家、佐野家が集まっている。
右側に見えるのは、引田御三家のひとつである日下(くさか)家の長屋門。江戸初期から明治初期まで代々大内郡(概ね現在の東かがわ市域)の大庄屋を務め、商店や船の取り締まりを行っていたという。また、戦後しばらくはパン屋を営んでいたそうだ。
左側の建物は風の港館(旧引田郵便局)。

2009/05/06撮影

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風の港館(旧引田郵便局)

中の丁の通り沿いでひときわ目を引くこの洋風の建物は、かつての引田郵便局。東京の松末組により1932年に建てられ、1978年に現在の場所に移転するまで郵便局として使われていた。
現在は「風の港館」としてリニューアルされ、館内は案内所とカフェ「ヌーベル・ポスト」になっている。

2009/05/06撮影

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中の丁の路地

中の丁の海側にはこのような細い路地が網の目のように通っており、漁師町らしい佇まいだ。

2009/05/06撮影

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中の丁の路地

さらに海側へ進んだあたり。

2009/05/06撮影

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岡浜通り

メインの通りの1本海側の通り。

2009/05/09撮影

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中の丁の路地

寺町・本町の通りとの交点から東(海側)へ進んだところ。まっすぐ進むと戎神社の前に出る。

2009/05/06撮影

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草木町・大工町・久太郎町・魚の棚

草木町

中の丁の西側は、通りごとに「草木町」、「大工町」、「久太郎町」、「魚の棚」という通称町名が付けられており、城下町時代の名残を見せている。
写真は寺町通りの1本北側の草木町(くさきまち)。右側の柵の奥の駐車場は、かつての引田尋常高等小学校の跡地だそうだ。

2009/05/06撮影

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大工町

寺町通りの北側2筋目の大工町(だいくまち)。昔は商店も多かったようだが、現在は概ね住宅街となっている。

2009/05/06撮影

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久太郎町

寺町通りの北側3筋目、久太郎町(きゅうたろうちょう)。

2009/05/06撮影

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魚の棚

寺町通りの北側4筋目の魚の棚(うおのたな)。この通り沿いは特に古い建物が多い。
右側の建物はかつて酒蔵を営んでいた讃州笠屋邸(阿部家)。現在は観光交流施設「風待ち処いちばん」となっている。

2009/05/06撮影

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讃州井筒屋敷(佐野家)

魚の棚の通り沿いにある佐野家は、日下家、岡田家と並ぶ引田御三家のひとつ。江戸期から昭和まで醤油屋「井筒屋」を営み、引田随一の豪商として栄えた。昭和末期に廃業して以降、建物は放置されていたが、旧引田町によって買収・整備され、2005年に観光交流施設「讃州井筒屋敷」として生まれ変わった。

2009/05/06撮影

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松の下・御幸橋・誉田八幡宮周辺

松の下

魚の棚の通りの中ほどから北へ伸びる通り。引田の中でも特に昔ながらの景観が残っている。
写真は魚の棚の通りとの交点付近。左側の建物は讃州井筒屋敷、右側の建物は讃州笠屋邸。

2009/05/09撮影

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松の下

しばらく北へ進んだところ。このまま進むと御幸橋がある。
右側の建物は1753年創業の老舗の醤油屋、かめびし屋(岡田家)。引田御三家のひとつであり、井筒屋とともに栄えてきた。築200年を超える醤油蔵はべんがら色の漆喰壁が特徴的で、引田の街並みを紹介する写真には必ずと言っていいほど登場する。建物群は国の登録有形文化財に指定されている。

2009/05/06撮影

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松の下

御幸橋の南詰から南を眺めたところ。かめびし屋から醤油のいい香りが漂ってくる。

2009/05/06撮影

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御幸橋

小海川と古川に架かる橋。朱塗りがよく目立つ。欄干には昭和三十七年(1962年)とある。
橋を渡るとすぐに誉田八幡宮の鳥居があり、そこから参道が始まる。

2009/05/06撮影

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小海川の夕暮れ

下流側の戎橋から御幸橋方面を眺めたところ。

2009/05/06撮影

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誉田八幡宮参道

御幸橋を北側へ渡ると、誉田八幡宮の参道が始まる。大きな神社の参道らしく、他の道より随分幅が広い。昔は商店がたくさん並んでいたが、現在は多くが閉店してしまっている。
このあたりは引田の中心部から見て小海川・古川の対岸にあたるので、川向(かわむかい)と呼ばれている。

2009/05/06撮影

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誉田八幡宮境内

誉田八幡宮(ほんだはちまんぐう)は引田地区の氏神で、平安時代の創建と伝えられる。地元では「はちまんさん」と呼ばれ親しまれており、秋の大祭では勇壮な「投げ奴」が見られる。
本殿はここから長い階段を上がったところにある。社叢は樹種が豊富で、県の自然記念物に指定されている。

2009/05/06撮影

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引田城跡(城山)入口

誉田八幡宮の裏手の城山(標高82.3m)には、戦国時代から江戸初期にかけて引田城が築かれ、仙石秀久や生駒親正などが居城していた。険しい山道を登ると今も石垣や土塁、空堀などが残っている。

2009/05/06撮影

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松原

引田市街の北西の外れ、塩竃神社付近。
このまままっすぐ進むと、1927年に世界で初めてハマチの養殖に成功した安戸池(あどいけ)がある。

2009/05/06撮影

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引田港周辺

引田港

引田港は北側に突き出した城山によって風が遮られ、「風待ちの港」と呼ばれる天然の良港だった。近世以降は讃岐三白と呼ばれる砂糖・塩・綿の積み出し港となり、三本松とともに香川県東部を代表する港町として栄えた。
現在は主に漁業中心の静かな港となっている。

2009/05/06撮影

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海沿いの通り

戎橋を南へ渡ったところ。戦後になって整備された比較的広い通りが海岸沿いに伸びている。

2009/05/06撮影

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海沿いの通り

戎神社の前から北を眺めたところ。

2009/05/06撮影

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