浪合(下伊那郡阿智村)

2013年9月15日撮影

浪合(なみあい)は長野県の南端部、標高約950mの雪深い谷に位置するまちです。かつては浪合村という独立した村でしたが、2006年に阿智村に編入されました。
古くから信州飯田と名古屋を結ぶ三州街道(中馬街道)が通り、小規模ながら宿場町として栄えてきました。付近には武田信玄が設けたという浪合関所跡もあります。しかし、時代の移ろいとともに宿場は衰退し、また1977年には国道153号のバイパス(浪合トンネル)が旧市街を避けるように開通したことから、人々の往来は激減。現在は過疎化が進み、静かな町場となっています。


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浪合地区マップ

浪合地区マップ

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県道243号(深沢阿南線)

県道243号(深沢阿南線)

浪合の中心街は、国道153号の浪合交差点から県道243号を1.8kmほど東に下ったところにある。
写真は村道中央線との交点から北西を眺めたところ。この区間は旧三州街道にあたり、数軒だが商店が建ち並ぶ。

2013/09/15撮影

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県道243号(深沢阿南線)

村道中央線との交点を北西から眺めたところ。今となっては珍しい旧型の道路標識(白看板)が立つ。
この地点には浪合バス停があり、街の玄関口となっている。

2013/09/15撮影

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県道243号(深沢阿南線)

和知野川に架かる浪合橋から東を眺めたところ。
このあたりが浪合宿の中心地だったところで、密集感のある街並みが続く。

2013/09/15撮影

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県道243号(深沢阿南線)

村道下町線との交点から西に進んだところ。
県道はこのまま直進すると阿南町方面に至るが、旧三州街道は浪合小学校前で右に折れて浪間橋を渡り、村道下町線を通るルートをとる。

2013/09/15撮影

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村道下町線

村道下町線

村道下町(しもまち)線は、県道243号と村道中央線を逆L字に繋ぐ通り。全線が旧三州街道のルートにあたる。
写真は浪合フォーラム前(村道御所平線との交点)から北を眺めたところ。中央に見えるのが和知野川に架かる浪間(なみま)橋で、その奥の建物は浪合小学校。
この交差点には、「左 せんくハうし(善光寺)道 右 やま道」と刻まれた江戸時代の道標が残っている。

2013/09/15撮影

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浪合フォーラム

阿智村役場浪合振興室(旧浪合村役場)・公民館・診療所等からなる複合施設。村道下町線と村道御所平線の交点に建つ。
中村勉総合計画事務所の設計により1997年に竣工し、日本建築学会作品選奨、JIA第1回環境建築賞優秀賞を受賞している。

2013/09/15撮影

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村道下町線

浪合フォーラム前から西に進んだところ。
このあたりは通称「中下町(なかしもまち)」と呼ばれる。

2013/09/15撮影

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村道中央線

村道中央線

村道中央線は県道243号と国道153号とを結ぶ通り。
写真は和知野川に架かる浪合橋の南詰から南を眺めたところ。この右手奥は現在JAになっているが、かつてはガソリンスタンドがあった。

2013/09/15撮影

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村道中央線

浪合郵便局前(村道下町線との交点)から北を眺めたところ。
現在はこのあたりに最も多くの商店が集積している。かつてはこの左側に火の見櫓があった。

2013/09/15撮影

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村道中央線

上町(かみまち)バス停前から北東を眺めたところ。
このあたりの区間は旧三州街道にあたる。

2013/09/15撮影

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村道中央線

上町集会所前から北東を眺めたところ。
ここからさらに南西に進むと国道153号に合流する。

2013/09/15撮影

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浪合神社

浪合神社

浪合小学校前から300mほどの石段を登ったところにある神社。
祭神は後醍醐天皇の皇孫である尹良親王(ゆきよししんのう)で、延宝年間(1673-1681)に造営されたと推定される。

2013/09/15撮影

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尹良親王御陵墓

浪合神社近くの丘の上にある、宮内庁管轄の陵墓。尹良親王は南北朝時代の1424年に、この地で北朝方の土賊に襲われて戦死したと伝えられている。

2013/09/15撮影

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