大門(名古屋市中村区)

2008年10月25日撮影

大門(おおもん)は名古屋市中村区のほぼ中央、名古屋駅から西へ1.5kmほどのところにあるまちです。公式には「だいもん」と読むようですが、地元ではもっぱら「おおもん」と読まれています。
ここは1923年に大須の旭遊郭から移転して作られた中村遊郭があったところで、大正末期から昭和初期にかけては東京・吉原に並ぶ全国屈指の歓楽街として繁栄していました。戦後もしばらくは赤線地帯として存続していましたが、1958年に施行された売春防止法により、35年の歴史に幕を降ろしました。その後、廃業した店舗は旅館や飲食店、風俗店などに転向していきましたが、今ではそのほとんどが廃業してしまっています。
衰退しているとは言え今も現役の風俗街であり、じろじろと観察するのは気が引けますが、あちこちに昭和レトロの香りが残っています。また、歴史の長さゆえ文化財として十分通用するような貴重な建築も多く、今後もうまく保存していってほしいものです。


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大門通り(新大門商店街)

大門通り(新大門商店街)

大門通りは大門地区の中央を南北に貫くメインストリート。
写真は日吉町通りとの交点から南を眺めたところ。「祭」「大門」と書かれたアーチが設けられ、地区のシンボルとなっている。

2008/10/25撮影

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長寿庵

中村遊郭が成立した1923年当時から続く、貴重な妓楼建築。大門通りと寿町通りの交点にある。
名古屋市の都市景観重要建築物に指定されていたが、惜しくも2014年に取り壊された。

2008/10/25撮影

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長寿庵の美人画

長寿庵の壁面にはこのような美人画が飾られ、昔の名残を感じさせる。

2008/10/25撮影

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大門通り(新大門商店街)

大門町通りとの交点から南を眺めたところ。かつての妓楼をそのまま転用したと思われる古い建物も残る。

2008/10/25撮影

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大門通り(新大門商店街)

羽衣町通りとの交点から北を眺めたところ。この通り沿いは風俗店などはなく、ごく普通の下町の商店街の風情だ。

2008/10/25撮影

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大門通り(新大門商店街)

羽衣町通りとの交点から南を眺めたところ。

2008/10/25撮影

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大門通り(新大門商店街)

賑町通りとの交点から北を眺めたところ。

2008/10/25撮影

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大門通り(新大門商店街)

賑町通りとの交点から南を眺めたところ。
近年は「エコ商店街」としてアピールしているようで、深夜帯に一部の街灯を消灯するなどの取り組みが行われているそうだ。

2008/10/25撮影

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大門通り(新大門商店街)

中村観音通りとの交点から北を眺めたところ。

2008/10/25撮影

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大門通り(新大門商店街)

中村観音通りとの交点付近。

2008/10/25撮影

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大門通り(新大門商店街)

中村観音通りとの交点から南を眺めたところ。

2008/10/25撮影

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大門通り(新大門商店街)

太閤通りと交わる大門交差点から北を眺めたところ。ここが中村遊郭の唯一の入口だったところで、それが「大門」の呼び名の由来となった。1972年まではここに市電の大門通駅もあった。
ここにもアーチが設けられている。

2008/10/25撮影

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大門通り

太閤通りと交わる大門交差点から南を眺めたところ。この先もしばらく商店街が続いている。

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日吉町通り

郭の北東端の通り

日吉町通りの東端から北東へ斜めに伸びる道。
中村遊郭は日吉町・寿町・大門町・羽衣町・賑町の5つの町からなる正方形の地域だが、地図で見ると分かるように、四隅には放射状に斜めの道路が配され、独特の構造になっている。これは、外部から見通しが効かないようにするためだと言われている。さらに、当時は周囲に堀もあったようで、完全に閉ざされた世界だったことがうかがえる。

2008/10/25撮影

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日吉町通り

日吉町は大門地区の一番北の通り。住宅街の中に風俗店が点在する光景が続く。
遠くに見える大きな建物は名古屋第一赤十字病院(通称:中村日赤)。

2008/10/25撮影

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松岡健遊館(旧松岡旅館)

日吉町通り沿いにある、1912年築の妓楼建築。遊郭廃止後は長らく料理旅館として営業していたが、2001年に改装され、なんとデイサービスセンター「松岡健遊館」として生まれ変わった。昔を偲ばせる雰囲気がお年寄りにも好評だという。
名古屋市の都市景観重要建築物に指定されている。

2008/10/25撮影

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料亭稲本

中村遊郭が成立した1923年当時からの妓楼建築。こちらも日吉町通り沿いの、松岡健遊館のはす向かいにある。べんがらの壁と中国風の門が特徴的で、当時としては画期的な建築だったのだろう。撮影当時は料亭として営業中で、名古屋市都市景観重要建築物にも指定されていたが、2018年7月に取り壊された。跡地には老人ホームが建つ予定。
この他、近くには大観荘という料理旅館もあり、そちらも都市景観重要建築物にも指定されていたが、2003年ごろに取り壊された。跡地はドラッグストアになっている。

2008/10/25撮影

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日吉町通り

かつて特殊飲食店街と呼ばれたこの地域も、現在では空き家や駐車場が増え、何の変哲もない住宅街になりつつある。
この近くにはかつて、娼妓の検診施設として発足した県立中村病院があったが、取り壊されて公園になっている。

2008/10/25撮影

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寿町通り

寿町通り

寿町は大門地区の北から2筋目の通り。
右側に見える建物は長寿庵。その他は、ユニー(現:ピアゴ)の駐車場や病院、専門学校、マンションなどが建ち並び、ごく普通の住宅街とほとんど変わらない景観だ。

2008/10/25撮影

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寿湯

寿町通り沿いにある銭湯。「湯薬 中将湯温泉 特約浴場」と書かれた赤いホーローの看板が古めかしくていい雰囲気だ。
2018年8月に廃業し、現在は取り壊されている。

2008/10/25撮影

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大門町通り

大門町通り

大門地区の中央を東西に貫く通り。東へ進むと中村銀座商店街、駅西銀座商店街を経て名古屋駅西口に至る。
通り沿いは風俗店や飲食店が建ち並び、遊郭の名残が残っている。またこれらの風俗店も、よく見ると昔ながらの妓楼建築をそのまま転用しているところが多い。

2008/10/25撮影

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大門町通り沿いの建物

ここもかつて妓楼だった建物だろうか。医療法人の所有となっていたようだが、2020年に取り壊された。

2008/10/25撮影

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大門町通り

大門通り(新大門商店街)との交点から東を眺めたところ。

2008/10/25撮影

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大門町通り

大門通り(新大門商店街)との交点から西を眺めたところ。
右側の建物は、老舗スーパーのユニー(現:ピアゴ)。この場所はかつて遊郭の組合事務所だったそうだ。通り沿いは買い物客で賑わっているが、その向かい側には風俗店が密集しており、なんともシュールな光景だ。

2008/10/25撮影

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大門町通り

2008/10/25撮影

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大門町通り

2008/10/25撮影

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大門町通り

大門町通りの西部。このあたりは飲食店が多い。

2008/10/25撮影

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大門町通り

さらに西へ進むと、名古屋第一赤十字病院(中村日赤)の前に出る。

2008/10/25撮影

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羽衣町通り

羽衣町通り

羽衣町は大門地区の北から4筋目の通り。

2008/10/25撮影

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羽衣町通り

概ね住宅街になっているが、ところどころに飲食店や風俗店が点在する。

2008/10/25撮影

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羽衣町通り

2008/10/25撮影

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賑町通り

郭の南東端の通り

賑町通りの東端から南東へ斜めに伸びる道。

2008/10/25撮影

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賑町通り

賑町は大門地区の北から5筋目の通り。
風俗店もあるが、大半は一般の商店や住宅になっている。

2008/10/25撮影

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一富士小路

賑町通りと大門通り(新大門商店街)の交点の南西側にある路地裏の飲食街。

2008/10/25撮影

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一富士小路

路地は北から東へL字型に伸びている。

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賑町通り

大門通り(新大門商店街)との交点から西を眺めたところ。

2008/10/25撮影

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賑町通り

通りの西端部。

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郭の南西端の通り

賑町通りの西端から南西へ斜めに伸びる道。

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中村観音通り・大門小路

中村観音通り

賑町通りの1本南、名楽町1丁目に沿って東西に伸びる通り。その名の通り、中村観音に面している。

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中村観音(白王寺)

中村観音通り沿いにある曹洞宗の寺院。
この寺には、無縁仏の遺骨を固めて作ったという観音像がある。昔の遊郭では、病気や虐待によって命を落とす娼妓が少なくなかったらしく、身売りされてきた娼妓たちは無縁仏ということになる。賑やかさの裏側には、このような悲しい歴史もあったということだ。

2008/10/25撮影

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芸人塚

中村観音の前にある塚。
江戸時代から芸どころとして栄えてきた名古屋の芸を現代につなげるため、松竹新喜劇王・故藤山寛美氏らの発案により、1975年に建立された。「芸」の文字は御園座元社長の長谷川栄一氏によって書かれたとのこと。学業などの習い事全般の上達を願ってたくさんの人が参拝に訪れるそうだ。

2008/10/25撮影

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中村観音通り

通り沿いは主に飲食店が密集している。この通りは厳密には中村遊郭の範囲外にあたるが、隣接することから飲食街として栄えたのだろう。

2008/10/25撮影

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中村観音通り

大門通りとの交点から東を眺めたところ。

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大門小路の入口

中村観音通り沿いにある路地裏の飲食街。

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大門小路

南側の入口から入ったところ。人なつこい猫がいた。

2008/10/25撮影

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大門小路

通路は狭いが奥行きがあり、T字型になっている。西へ進むと大門通り(新大門商店街)に出られる。

2008/10/25撮影

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太閤通り

太閤通り

太閤通りは中村区の中央を東西に貫く通り。1913年に開通し、当地出身の豊臣秀吉にちなんで名付けられた。東は名古屋のメインストリート・広小路通りに繋がっている。1972年までは市電も走っていた。
写真は大門通りと交わる大門交差点から東を眺めたところ。太鼓を模したモニュメントがあるが、現在は撤去されている。写真の左端には大門横丁の入口が見える。

2008/10/25撮影

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太閤通り

大門通りと交わる大門交差点から西を眺めたところ。

2008/10/25撮影

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太閤通り

県道190号と交わる太閤通6交差点から東を眺めたところ。

2008/10/25撮影

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大門横丁

大門横丁

太閤通りの大門交差点の少し東から北へ伸びる飲食街。南北50mほどで、全蓋式アーケードが設置されている。

2008/10/25撮影

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大門横丁

最近では地元のテレビ番組でもときどき取り上げられている。昭和レトロの趣が残るが、空店舗や更地も多く、昔と比べるとずいぶん寂しくなったそうだ。

2008/10/25撮影

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大門横丁

北側の入口。

2008/10/25撮影

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郭の東側の通り・常楽通り

郭の東側の通り

大門通りの一本東、中村遊郭跡の東端を南北に通る道。

2008/10/25撮影

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郭の東側の通り

飲食店が点在しているが、現在は営業していないところも多いようだ。

2008/10/25撮影

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常楽通り

賑町通りとの交点からさらに南へ進むと道幅が狭くなり、「常楽通り」となる。ここはちょっとした飲食街の雰囲気。

2008/10/25撮影

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常楽通り

中村観音通りとの交点から南を眺めたところ。

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県道190号

県道190号

中村遊郭跡の西側を南北に貫く通り。

2008/10/25撮影

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県道190号

ところどころに飲食店が点在する。

2008/10/25撮影

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県道190号

2008/10/25撮影

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県道190号沿いで

廃墟となった中華料理店の跡。看板の中華料理の「理」の文字がひっくり返り、哀愁に満ちている。昔はどれほど繁盛していたのだろうか。

2008/10/25撮影

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