車道・筒井・代官(名古屋市東区・中区)

2008年9月27日・9月28日、2013年2月11日・2月13日撮影

車道(くるまみち)・筒井(つつい)・代官(だいかん)は名古屋市東区の中央に位置するまちです。江戸時代には下級武士が暮らしていたところで、明治・大正ごろから商店街が発達しました。
商店街は主に、東西の高針街道と南北の車道筋からなります。高針街道は名古屋城下から東に延びる街道で、昔から人通りが多く、戦前は広小路・大須とともに名古屋を代表する繁華街として賑わいました。一方、車道筋(くるまみちすじ)は地下鉄車道駅を中心に南北に延びる通りで、飯田街道(国道153号)と徳川園を結んでいます。尾張藩2代藩主・徳川光友により御下屋敷(別邸)が造営された際、石材を運ぶ車が頻繁に行き来したことから名付けられたと言われています。
周辺には尾張徳川家ゆかりの建中寺や徳川園があり、愛知大学や東海高校、愛知商業高校などが立地することから、落ち着いた文教地区としても知られています。


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車道商店街

車道駅前

車道駅前

地下鉄桜通線車道駅の1番出口付近。桜通と車道筋の交点にあたり、このエリアの玄関口となっている。

2013/02/13撮影

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車道駅前

車道駅前

桜通と車道筋が交わる桜通車道交差点から北を眺めたところ。ここから北に進むと車道商店街、南に進むと車道本通商店街がある。
左奥に見える大きなビルは、2004年に建て替えられた愛知大学車道キャンパス。

2013/02/13撮影

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車道商店街

車道商店街

車道(くるまみち)商店街は、桜通車道交差点から北に延びる商店街。戦災を免れたため昔ながらの建物が数多く残っていたが、1990年代後半から道路の拡幅が進み、沿道の多くの建物が新しく建て替えられた。
写真は桜通との交点である桜通車道交差点を北から眺めたところ。この区間は2006年ごろに拡幅が完了した。1981年までこのあたりの地名は「車道町5丁目」だった。
奥に見えるのは、服地・家の布の大塚屋車道本店。

2013/02/13撮影

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車道商店街

車道商店街

手代町(てだいちょう)通り(都市計画道路手代町線)との交点付近で。
車道商店街、手代町通りとも以前は狭い道路だったが、2012年ごろに拡幅が完了し、新しくスクランブル式信号が設置された。
1981年までこのあたりの地名は「車道町4丁目」だった。

2013/02/13撮影

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車道商店街

車道商店街

外堀通りとの交点(建中寺東交差点)を北から眺めたところ。
1981年までこのあたりの地名は「車道町2丁目」だった。

2013/02/13撮影

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車道商店街

車道商店街

東海中学校・高校付近から南を眺めたところ。朝夕は通学する学生たちで賑わう。

2013/02/13撮影

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車道商店街

車道商店街

出来町通りとの交点からやや南に進んだところ。

2008/09/28撮影

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徳川園

徳川園

車道商店街をまっすぐ北に進んだところにある、池泉回遊式の日本庭園。
この場所にはもともと、1695年に尾張藩2代藩主・徳川光友によって造営された隠居所「大曽根御屋敷」があった。1945年の大空襲で焼失してからは長らく普通の公園となっていたが、2001年から改修工事が行われ、2004年に再開園した。写真は庭園の中心となる龍仙湖。
隣接した場所には、尾張徳川家の大名道具や源氏物語絵巻を収蔵する徳川美術館や、尾張徳川家の旧蔵書を所蔵する蓬左文庫(ほうさぶんこ)があり、周辺の地名も「徳川町」となっている。

2013/02/11撮影

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車道本通商店街・広小路通車道商店街

車道本通6丁目商店街

車道本通6丁目商店街

車道筋のうち、桜通以南の区間は車道本通(くるまみちほんどおり)商店街となる。
写真は桜通との交点(桜通車道交差点)から南を眺めたところ。「車道」と書かれたアーチが設置されている。
1981年までこのあたりの地名は「車道町6丁目」だった。

2013/02/13撮影

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車道本通6丁目商店街

車道本通6丁目商店街

桜通と錦通の中間地点付近で。
このあたりは東西に貫く都市計画道路(布池町線)の建設予定地になっているため、更地が多くなっている。

2013/02/13撮影

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車道大市場

車道大市場

車道本通6丁目商店街沿いにある昔ながらの市場。

2013/02/13撮影

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布池カトリック教会

カトリック布池教会

車道本通商店街からほど近い布池(ぬのいけ)地区に建つ、カトリック名古屋司教区の大聖堂。1962年に竣工し、現在は名古屋市の都市景観重要建築物に指定されている。
撮影時はちょうどミサが行われていた。

2008/09/28撮影

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車道本通7丁目商店街

車道本通7丁目商店街

錦通と交わる錦通車道交差点から南を眺めたところ。
1981年までこのあたりの地名は「車道町7丁目」だった。

2013/02/13撮影

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車道本通7丁目商店街

広小路通車道商店街

広小路通と交わる広小路車道交差点から北を眺めたところ。広小路通に近いこのあたりは東区から中区に入り、商店街も「広小路通車道商店街」となる。さらに南に進むと飯田街道(東田町・菊里町商店街)に突き当たる。
かつてはここにも「車道」と書かれた古めかしいアーチが架かっていたが、2012年ごろに撤去された。

2013/02/13撮影

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車道地区遠景

車道地区遠景

千種駅前の住友生命千種ニュータワービルからの眺め。
左の方に見える大きなビルが愛知大学車道キャンパスで、その左下にあるのが大塚屋車道本店。右上の遠くに見える超高層ビルは、北区成願寺のタワーマンション「ザ・シーン城北アストロタワー」で、そのすぐ下に建中寺が見える。

2008/09/27撮影

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筒井町商店街

筒井町商店街

筒井町商店街

筒井町(つついちょう)商店街は、筒井小学校の南から東警察署の南にかけて延びる通り。古くから建中寺の門前町として発展した。毎年6月に行われる筒井町天王祭りが有名で、2台の山車(神皇車・湯取車)が曳き回される。
写真は車道商店街との交点から西を眺めたところ。「筒井町商店街」と書かれたアーチが設置されている。1981年までこのあたりの地名は「筒井町3丁目」だった。

2013/02/13撮影

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筒井町商店街

筒井町商店街

この道はもともと飯田街道のバイパスとして造られた高針街道にあたる。高針街道は名古屋城下から真東に延び、池下、本山高針を経て、藤枝(日進市)で飯田街道に合流していた。

2013/02/13撮影

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筒井町商店街

筒井町商店街

筒井公園付近から東を眺めたところ。
1981年までこのあたりの地名は「筒井町2丁目」だった。

2008/09/28撮影

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筒井町商店街

筒井町商店街

この右奥あたりには、大正から昭和の中頃まで映画館があったという。

2013/02/13撮影

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筒井町商店街

筒井町商店街

建中寺門前から西を眺めたところ。
1981年までこのあたりの地名は「筒井町1丁目」だった。

2013/02/13撮影

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筒井町商店街

筒井町商店街

水筒先筋との交点から東を眺めたところ。ここにも「筒井町商店街」と書かれたアーチが設置されている。
ここから西は代官町商店街となる。

2008/09/28撮影

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代官町商店街

代官町商店街

代官町商店街

代官町(だいかんちょう)商店街は、東警察署の南西から国道19号の代官町交差点にかけて延びる通り。筒井町商店街とともに高針街道にあたる。江戸時代、大代官の太田九左衛門が屋敷を構えたことからその名が付いたと言われる。
写真は水筒先筋との交点から西を眺めたところ。「代官町」と書かれたアーチが設置されている。ここから東は筒井町商店街となる。

2008/09/28撮影

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代官町商店街

代官町商店街

このあたりは、1890年に愛知織物(丸織)の工場が出来たことから商店が集まり、大正から昭和初期にかけて最盛期を迎えた。1970年から1972年にかけては、毎週日曜日に歩行者天国も開催されていたそうだ。

2008/09/28撮影

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代官町商店街

代官町商店街

1981年までこのあたりの地名は「竪代官町」だった。南北に通る横代官町と区別するために「竪」の文字が付けられたという。

2008/09/28撮影

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代官町商店街

代官町商店街

横代官町通りとの交点から東を眺めたところ。

2008/09/28撮影

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代官町商店街

代官町商店街

国道19号との交点(代官町交差点)から東を眺めたところ。ここにも「代官町」と書かれたアーチが設置されている。
ここから西は鍋屋町商店街となる。

2008/09/28撮影

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鍋屋町商店街

鍋屋町商店街

鍋屋町商店街

鍋屋町(なべやちょう)商店街は、筒井町・代官町とともに高針街道沿いに開けた商店街。
写真は国道19号との交点(代官町交差点)から西を眺めたところ。1981年までこのあたりの地名は「鍋屋町3丁目」だった。ここから東は代官町商店街となる。
この場所は下街道(善光寺道)と高針街道が分岐する追分にあたり、かつては味噌と酒を商う佐野屋という商家があったことから「佐野屋の辻」と呼ばれていた。写真左下には、1877年に建てられた道標も見える。

2008/09/28撮影

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鍋屋町商店街

鍋屋町商店街

「鍋屋町」の地名は、1610年に名古屋城が築城されて城下町が建設された際、清須城下の鍋屋町に住んでいた人々が一斉に移住してきたこと(清須越し)から名付けられた。翌年からは尾張藩の鋳物師頭(いもじがしら)・水野太郎左衛門が屋敷を構え、鍋・釜から梵鐘、鉄砲に至るまで、あらゆる鋳物製品の製造・販売権を独占していた。
1981年までこのあたりの地名は「鍋屋町1丁目」だった。

2008/09/28撮影

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鍋屋町商店街

鍋屋町商店街

奥に見える高架橋は、国道41号の上を走る名古屋高速都心環状線。

2008/09/28撮影

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鍋屋町商店街

鍋屋町商店街

国道41号との交点(東片端南交差点)から東を眺めたところ。
右側に見える「鍋屋」の看板は、鍋屋町の地名の由来となった尾張藩の鋳物師頭・水野太郎左衛門の屋敷があった場所で、現在もその末裔が金物商を営んでいる。左手には、桜山にも支店がある老舗の喫茶店・ボンボンがある。
ここからさらに西に進むと、名古屋城下の京町筋(石町・中市場町・京町・茶屋町・和泉町)を経て西区の円頓寺商店街に至る。

2008/09/28撮影

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筒井町4丁目商店街・東筒井通商店街

筒井町4丁目商店街

筒井町4丁目商店街

筒井町商店街のうち、車道商店街との交点より東は「筒井町4丁目商店街」として独立している。
写真は車道商店街との交点から東を眺めたところ。

2008/09/28撮影

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筒井町4丁目商店街

筒井町4丁目商店街

1981年までこのあたりの地名は「筒井町4丁目」だった。現在も道路の北側にのみ旧地名が残っている。

2008/09/28撮影

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筒井町4丁目商店街

東筒井通商店街

市道赤萩町線との交点より東は東筒井通商店街となる。

2008/09/28撮影

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筒井町4丁目商店街

東筒井通商店街

JR中央線を越える豊前橋から西を眺めたところ。
ここからさらに東に進むと、手代町通りから続く市道(池内猪高線)と合流して、千種区の覚王山・自由ヶ丘方面に至る。

2008/09/28撮影

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大松通商店街

大松通商店街

大松通商店街

大松通(おおまつどおり)商店街は、出来町通りの大松交差点から南に延びる通り。1920年代に道路が拡幅され、大曽根駅にほど近いことや、陶磁器工場を中心とする工場街に近かったことから発展した。
写真は出来町通りとの交点から南を眺めたところ。「大松通」と書かれたアーチが設置されている。

2008/09/28撮影

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大松通商店街

大松通商店街

現在、この道路の東側は「大松町」という地名になっているが、これは1981年に制定された新しい地名。それまで「大松」という正式な地名はなく、「大松通商店街」というのは大きな松の木があったことから名付けられた、単なる通称地名だった。
1981年まで、この商店街は新出来町、古出来町、百人町、黒門町などの複数の町に跨っていた。

2008/09/28撮影

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大松通商店街

大松通商店街

この商店街は全国的にもかなり早い時期に商店街組合を組織し、共同で市場を経営するなど、かなり先進的な取り組みを行っていたようだ。

2008/09/28撮影

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大松通商店街

大松通商店街

百人町交差点から北を眺めたところ。

2008/09/28撮影

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横代官町通り

横代官町通り

横代官町通り

横代官町(よこだいかんちょう)通りは、代官町商店街(竪代官町筋)と直交して南北に通る道。1915年から1970年までは市電が走っていて、この地域の玄関口となっていた。
写真は代官町商店街(竪代官町筋)との交点を南から眺めたところ。1981年までこのあたりの地名は「横代官町」だった。

2008/09/28撮影

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横代官町通り

横代官町通り

代官町商店街(竪代官町筋)との交点から北を眺めたところ。
さらに進むと、平田町(へいでんちょう)交差点の手前で国道19号に合流する。

2008/09/28撮影

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外堀通り

外堀通り

外堀通り

外堀(そとぼり)通りは、名古屋城の南側を東西に貫く通り。都心部は4〜6車線の広い道路だが、平田町(へいでんちょう)交差点以東は2車線となる。
写真は車道商店街との交点(建中寺東交差点)から東を眺めたところ。

2013/02/13撮影

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外堀通り

外堀通り

車道商店街との交点(建中寺東交差点)から西を眺めたところ。このあたりは戦後になってから造られた新しい道路。

2013/02/13撮影

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建中寺

徳興山建中寺

外堀通り沿いに建つ浄土宗の寺院。
1651年に尾張藩2代藩主・徳川光友が創建した、尾張徳川家の菩提寺。かつては現在よりも敷地が広く、東区役所、東海中学校・高校、あずま中学校、筒井小学校などはもともと建中寺の境内だった。
写真は1651年の創建当時から残る三門(市指定文化財)。この反対側は、筒井町商店街まで建中寺公園が続いている。

2013/02/13撮影

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