五個荘(東近江市)

2009年10月11日撮影

五個荘(ごかしょう)は滋賀県のほぼ中央、湖東平野に位置するまちです。2005年までは神崎郡五個荘町という独立した町でしたが、周辺市町と合併し、現在は東近江市の一部になっています。
ここは近江八幡や日野とともに多くの近江商人を輩出した土地で、商人たちの本宅が今も多く残っています。特に金堂(こんどう)地区はその中心にあたり、「寺前・鯉通り」、「てんびん通り」、「あきんど通り」など近江商人にちなんだ通り名が付けられ、1998年には重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。周辺には古代の条里制の名残が見られ、整然とした区画の田園風景が広がっています。


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五箇荘駅周辺

近江鉄道五箇荘駅

米原・彦根から八日市・貴生川方面までを結ぶ私鉄、近江鉄道の駅。地名は「五個荘」だが、駅名は「五箇荘」と名乗っている。小さな駅だが、駅舎は近江商人の屋敷を模したデザインになっている。

2009/10/11撮影

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五箇荘駅前の通り

五箇荘駅から北西へ伸びる通り。商店も点在しているが、概ね住宅街となっている。

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五箇荘駅前の通り

旧中山道との交点付近から東(五箇荘駅方面)を眺めたところ。

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旧中山道

中山道・御代参街道分岐点の道標

旧中山道と御代参(ごだいさん)街道が分岐する地点に建てられている道標で、「左 いせ ひの 八日市 みち」「右 京みち」と刻まれている。
旧中山道と五箇荘駅前の通りの交点から南東へ斜めに伸びているのが御代参街道で、八日市、日野、笹尾峠を経て東海道の土山宿まで続いている。主要な街道が分岐する交通の要衝であったことも、五個荘の商人たちが活躍する大きな要因となったようだ。

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旧中山道

旧中山道は御代参街道と分かれた後、右にカーブして大同川を渡る。
このあたりは小幡という集落で、小幡人形(おばたでこ)と呼ばれる郷土人形で知られる。また、近世にはこの地から多くの商人たちが近江八幡に移り住み、彼らが集まって住んだのが現在の近江八幡市小幡町である。

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旧中山道

大同川に架かる橋から南を眺めたところ。旧中山道はここから再び進路を南西にとる。

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東近江市役所五個荘支所

2005年に合併により東近江市となるまで五個荘町役場だった建物。旧中山道沿いに立地する。

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旧中山道

五個荘支所からしばらく南西に進んだところ。昔ながらの茅葺き屋根の家も多く残る。このあたりでは茅葺き屋根に貝殻を載せる風習があるようで、白い貝殻がところどころに見える。

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旧中山道

このあたりには松並木が植えられ、街道らしい風情が維持されている。

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祭・馬場通り

祭・馬場通り

金堂地区の中央から東へ伸びる通り。奥に見える森は大城神社と日若宮神社。
この金堂地区は五箇荘駅からはやや離れており、能登川・八日市方面からのバスを利用するのが便利。大きな屋敷が多く、ゆったりとした景観が続く。

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寺前・鯉通りの1本東の通り

祭・馬場通りから南へ伸びる小さな路地。このような名もない路地にも風情がある。

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祭・馬場通り

金堂地区の他の通りと比べると道幅が非常に広く、昔はここで乗馬の訓練をしていたのではないかと思われる。また、毎年春には大城神社の祭りが開かれる。
奥に見える山は繖(きぬがさ)山で、その奥が能登川になる。

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近江商人博物館

近江商人の商法や家訓、暮らしや文化などについて展示する博物館。金堂の集落の東側に位置する。

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田園風景

近江商人博物館付近から南を眺めたところ。金堂の集落は四方を条里制の水田に囲まれており、このような農村風景も味わい深い。

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寺前・鯉通り

寺前・鯉通り

金堂地区の中央を南北に貫く通り。
写真はてんびん通りとの交点から北を眺めたところ。通り沿いには鈴鹿山脈の伏流水を利用した水路があり、潤いのある景観になっている。

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寺前・鯉通り

左側に見えるのは弘誓寺(ぐぜいじ)の山門(1692年建立、市指定文化財)。

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水路の鯉

水路には鯉が放流され、観光客の目を和ませている。

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寺前・鯉通り

祭・馬場通り・堂中通りとの交点から南を眺めたところ。

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寺前・鯉通り

祭・馬場通り・堂中通りとの交点。寺前・鯉通りはここでクランク状に曲がっている

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寺前・鯉通り

祭・馬場通り・堂中通りとの交点から北を眺めたところ。
商店は少なく、街というよりはあくまで集落といった感じだ。

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寺前・鯉通り

陣屋通りとの交点から北を眺めたところ。
左側の建物は近江商人屋敷の一つ、外村繁邸(外村繁文学館)。さらに奥には外村宇兵衛邸が見える。

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近江商人屋敷・外村繁(とのむらしげる)邸
(外村繁文学館)

外村宇兵衛邸の分家にあたり、呉服木綿問屋として活躍した。1902年に生まれた三男の外村繁(本名:茂)は小説家としても活躍し、梶井基次郎・中谷孝雄らとともに同人雑誌「青空」を創刊。「草筏」、「筏」、「花筏」、「澪標」など、近江商人を題材とした作品を数多く遺している。

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近江商人屋敷・外村繁(とのむらしげる)邸
(外村繁文学館)

五個荘の商人屋敷はどこも広々とした日本庭園が設けられている。

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近江商人屋敷・外村宇兵衛(とのむらうへえ)邸
(てんびんの里伝統家屋博物館)

外村繁邸の本家にあたり、呉服木綿類の販売で全国に商圏を拡大した。明治期には全国長者番付にも登場するなど、近江を代表する豪商であったという。
母屋は1860年の築。広大な日本庭園を擁し、門の脇には表の水路から水を引き入れた「川戸」と呼ばれる洗い場がある。

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てんびん通り

てんびん通り

弘誓寺の南を東西に通る道。商人の担いでいた天秤棒に由来し、五個荘は「てんびんの里」のキャッチフレーズで呼ばれている。

2009/10/11撮影

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堂中通り

堂中通り

弘誓寺の北を東西に通る道。
写真は寺前・鯉通りとの交点から西を眺めたところ。ここから東は祭・馬場通りとなる。

2009/10/11撮影

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堂中通り

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陣屋通り

陣屋通り

堂中通りの1本北、外村繁邸の南側を東西に通る道。大和郡山藩の陣屋があったことに由来する。
奥に見える赤い鳥居は稲荷神社で、そこに陣屋跡の石碑がある。

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花筏通り

花筏通り

陣屋通りの1本北、外村繁邸と外村宇兵衛邸の間を東西に通る道。通り名は外村繁の作品「花筏」に由来するのだろう。
左側に見えるのが外村宇兵衛邸、右側に見えるのが外村繁邸。昔ながらの丸型ポストが景観にアクセントを加えている。

2009/10/11撮影

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花筏通り

あきんど通りとの交点から東を眺めたところ。

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あきんど通り

あきんど通り

寺前・鯉通りの1本西を南北に通る道。

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あきんど通り

左側の建物は近江商人屋敷・中江準五郎(なかえじゅんごろう)邸(あきんど大正館)。
中江家は呉服小間物商を営んでいた商家で、明治期に朝鮮半島に進出。大正期にはアメリカへ商業視察に向かい、昭和初期には「三中井百貨店」として、朝鮮・中国各地に約20店舗の支店を展開。総売上額では三越をも凌ぎ「百貨店王」と呼ばれた。しかし1945年に敗戦とともに消滅し、今では「幻の百貨店」となっている。

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あきんど通り

花筏通りとの交点から南を眺めたところ。

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あきんど通り

陣屋通りとの交点付近から南を眺めたところ。このまま進むと県道202号に合流し、観光案内所や土産物屋を兼ねた「生き活き館」(農村環境改善センター)や観光センターがある。

2009/10/11撮影

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