▲近江八幡(近江八幡市)その1に戻る▲


Mapionのマークをクリックすると、撮影場所の地図が開きます。

本町通り

本町通り(本町3丁目)

本町(ほんまち)は小幡町の1本西側の通り。八幡山城の真正面の通りで、城下の中心という意味で「本町」と名付けられたが、商業街としては交差する京街道筋の方が栄えていたようだ。
写真は京街道筋との交点から北を眺めたところ。

2009/07/16撮影

Mapion

本町通り(本町3丁目)

大杉町通りとの交点から南を眺めたところ。

2009/07/16撮影

Mapion

本町通り(本町2丁目)

2009/07/16撮影

Mapion

池田町通り

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

池田町(いけだまち)は本町の1本西側の通り。町名は、安土城下の池田町から住民を移住させてできたことに由来するという。
池田町洋風住宅街は、大正時代にヴォーリズがアメリカ式住宅のモデルハウスとして建てたもので、旧ウォーターハウス邸(1913年築)、旧吉田悦蔵邸(1913年築)、旧近江ミッション・ダブルハウス(1921年築)からなる。
(※ヴォーリズについては大杉町通りの項を参照)

2009/10/11撮影

Mapion

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

2009/10/11撮影

Mapion

池田町通り(池田町2丁目)

池田町北部の1-2丁目から隣の寺内町にかけてのあたりには、かつて遊郭があったようだ。ただし現在はほとんど面影が残っていない。

2009/10/11撮影

Mapion

寺内北町通り

寺内北町通り(北元町)

寺内北町(じないきたちょう)通りは池田町の1本西側の通り。この周辺の北元町・北末町・西元町・西末町の4町は、本願寺八幡別院の門前町であることから、近世までは合わせて「寺内町」と呼ばれていた。いずれも安土城下から寺とともに住民が移ってきてできた町とされる。
右側に見えるのは本願寺八幡別院・金台寺(こんだいじ)。本堂、表門、裏門、鐘楼は県指定有形文化財。

2009/07/16撮影

Mapion

寺内北町通り(北元町)

京街道筋との交点から南を眺めたところ。

2009/07/16撮影

Mapion

寺内西町通り

寺内西町通り(西末町)

寺内西町(じないにしちょう)通りは寺内北町通りのさらに西側を通る、八幡城下最西端の通り。北元町・北末町とともに、近世までは「寺内町」と呼ばれていた。
写真は上筋との交点から北を眺めたところ。

2009/07/16撮影

Mapion

寺内西町通り(西元町)

この付近にはかつて野田屋長兵衛邸があった。楽市楽座や諸役免除のもとに発展した近江八幡の街だが、あるとき京都からやって来た役人が、鍵之手町に掲げられていた「諸役伝馬等免除」の高札を持ち帰ってしまった。野田屋長兵衛は京都へ出向いて取り返そうとしたが受け入れられず、死をもって抗議するため役人の前で自刃したという。

2009/07/16撮影

Mapion

寺内西町通り(孫平治町2丁目)

通りの北部は孫平治町(まごへいじちょう)となる。町名は豊臣秀次の補佐、中村一氏の通称「孫平治」にちなむという。

2009/07/16撮影

Mapion

寺内西町通り(孫平治町1丁目)

宮前通りとの交点から北を眺めたところ。右側の煉瓦造の建物は旧中川煉瓦製造所縄縫工場。大正時代の築で、登録有形文化財。

2009/07/16撮影

Mapion

上筋

上筋(鍵之手町)

上筋(かみすじ)は八幡城下の南部を東西に貫く通り。
写真の地点は、縄手町通り(写真左手)を北上してきた朝鮮人街道(京街道)がL字に折れて西(写真奥)に向きを変えるところで、街道が鍵のように曲がっていることから「鍵之手町(かぎのてちょう)」と名付けられた。ここは八幡城下の東の入口にあたり、高札場もあった。
上筋のうち、ここから仲屋町通りとの交点までは朝鮮人街道(京街道)のルートにあたる。

2009/07/16撮影

Mapion

上筋(鍵之手町)

2009/07/16撮影

Mapion

上筋(永原町上)

永原町通りとの交点から東を眺めたところ。
右側の建物は、江戸時代から明治にかけて下総(茨城県)の結城で醸造業を営んだ野間清六邸の本宅。左側の建物は1930年に建てられた野間邸の分家で、2004年に改築され、現在は障害者の作品を中心に展示する美術館「ボーダレス・アートギャラリーNO-MA」となっている。

2009/07/16撮影

Mapion

上筋(永原町上)

永原町通りとの交点から西を眺めたところ。「旧朝鮮人街道」「右 永原町通り」と刻まれた道標が立っている。
この先の仲屋町通りとの交点で、朝鮮人街道(京街道)は右に折れて北へ進む。

2009/07/16撮影

Mapion

上筋(為心町上)

為心町通りとの交点から東を眺めたところ。このあたり(仲屋町通りとの交点から魚屋町通りとの交点まで)は「上筋商店街」が組織されている。

2009/07/16撮影

Mapion

上筋(為心町上)

為心町通りとの交点から西を眺めたところ。かつては京街道商店街とともに市内屈指の繁華街だったようだが、現在は衰退気味。

2009/07/16撮影

Mapion

上筋(新町4丁目)

新町通りとの交点付近。このあたり(魚屋町通りとの交点以西)は「西上筋商店街」が組織されている。

2009/07/16撮影

Mapion

上筋(小幡町上)

小幡町通りとの交点(小幡上筋交差点)から東を眺めたところ。

2009/07/16撮影

Mapion

上筋(小幡町上)

小幡町通りとの交点(小幡上筋交差点)を西側から眺めたところ。

2009/07/16撮影

Mapion

近江八幡市立八幡小学校

1886年創立の歴史ある学校。1917年にこの場所に建てられた擬洋風建築の校舎は、NHKの連続ドラマ「はっさい先生」の舞台にもなった。老朽化のため、1989年、往時の雰囲気をとどめながら改築された。

2009/07/16撮影

Mapion

京街道筋・小船木町通り

京街道筋(永原町元・中、西畳屋町)

京街道筋は八幡城下の北部を東西に貫く通り。仲屋町通りとの交点以西は京都と彦根を結ぶ旧京街道(朝鮮人街道)にあたるためその名が付いた。朝鮮人街道は野洲で中山道から分岐し、近江八幡、安土、能登川、彦根を通り、鳥居本で再び中山道に合流する街道で、現在の県道2号のルートにほぼ相当する。鎖国時代、朝鮮通信使が何度か通行したことからこの名が付いた。
写真は永原町通りとの交点から東を眺めたところで、このあたりは厳密には朝鮮人街道のルートには含まれない。

2009/07/16撮影

Mapion

京街道筋(魚屋町元・中)

魚屋町通りとの交点から東を眺めたところ。
このあたり(仲屋町通りとの交点から新町通りとの交点まで)は「あきんど道商店街」が組織されている。

2009/07/16撮影

Mapion

京街道筋(新町2・3丁目、正神町、小幡町中)

新町通りとの交点から西を眺めたところ。
右側手前の建物は市立郷土資料館(旧近江八幡警察署)、左側の建物は旧伴家住宅で、いずれも市立資料館の一部となっている。

2009/07/16撮影

Mapion

近江八幡市立郷土資料館

1886年にヴォーリズによって建てられ、1953年に改築された後、1974年まで近江八幡警察署として使われていた建物。現在は市立郷土資料館として使われており、旧伴家住宅・旧西川家住宅・歴史民俗資料館(旧森家控宅)とともに市立資料館を構成している。
かつてはこの場所に、安南国(現在のベトナム)との貿易で活躍した安南屋西村太郎右衛門の屋敷があった。
(※ヴォーリズについては大杉町通りの項を参照)

2009/10/11撮影

Mapion

旧伴家住宅

伴家は江戸時代から明治時代にかけて活躍した商家。建物は明治時代に町(当時)に譲渡された後、尋常高等小学校、役場、高等女学校、さらに図書館として使われ、現在は市立資料館の一部となっている。市指定文化財。

2009/07/16撮影

Mapion

京街道筋(正神町、小幡町中)

小幡町通りとの交点(小幡交差点)から西を眺めたところ。ここから先は「京街道商店街」となり、江戸期から続く近江八幡の代表的商店街。1960年に、市内で唯一の全蓋式アーケードが設置されたが、老朽化のため2008年末に撤去された。
現在は「京街道門前通り」としてリニューアルされているものの、商店街としては衰退が激しい。右側のスーパー「あわ八」も八幡開町以来の老舗だったが、2000年に閉店した。

2009/07/16撮影

Mapion

京街道筋(正神町、小幡町中)

小幡町通りとの交点(小幡交差点)を西から眺めたところ。

2009/07/16撮影

Mapion

京街道筋(本町3・4丁目)

本町通りとの交点から西を眺めたところ。「本町」「京街道」と刻まれた道標が建っている。
左側の建物は旧中村四郎兵衞邸。1720年に四郎兵衞が創業した扇四呉服店は、現在もこの場所で営業されている。

2009/07/16撮影

Mapion

京街道筋(本町3・4丁目、池田町3・4丁目)

2009/07/16撮影

Mapion

京街道筋(池田町3・4丁目)

池田町通りとの交点から西を眺めたところ。アーケードはこの少し先まで続いていた。そこから先は「西京街道商店街」となる。

2009/07/16撮影

Mapion

京街道筋(西元町、北元町)

寺内西町通りとの交点から東を眺めたところ。

2009/07/16撮影

Mapion

京街道筋(西元町)

2009/07/16撮影

Mapion

京街道筋(西元町、小船木町)

寺内西町通りからさらに西へ進んだところ。正面に見える階段を登ると、観音山山頂の日杉山普門院願成就寺に至る。願成就寺は日牟禮八幡宮の別当寺で、聖徳太子の勅願により近江国内に建立された48の寺のうち最後に建てられたことからその名が付いた。本尊の木造十一面観音立像は聖徳太子の作と伝えられ、重要文化財。
旧京街道(朝鮮人街道)のルートは階段の手前を左に折れ、小船木町へ進む。

2009/07/16撮影

Mapion

小船木町通り

願成就寺への階段の手前を左に曲がったところ。ここから先は小船木商栄会商店街が形成されているが、現在は営業しているお店は少なくなっている。

2009/07/16撮影

Mapion

小船木町通り

旧京街道(朝鮮人街道)はこのまましばらく小船木町通りを進んだ後、概ね現在の県道2号に沿って京都まで続く。

2009/07/16撮影

Mapion

大杉町通り

大杉町通り(大杉町、仲屋町元)

大杉町通りは京街道筋の1本北側の通りで、かつては「下中筋」とも呼ばれた。日牟禮八幡宮の門前町としての性格を持ち、町名は八幡宮境内の杉の木に由来するという。
写真は仲屋町通りとの交点から東を眺めたところ。

2009/07/16撮影

Mapion

大杉町通り(大杉町、仲屋町元)

白雲館の前から東を眺めたところ。

2009/07/16撮影

Mapion

白雲館

大杉町通り沿いに建つ擬洋風建築物。1877年に八幡東学校として約6,000円(当時は米1俵が1円34銭)の費用をかけて建てられ、その後は役場、郡役所、信用組合などとして使われた。1994年に建設当時の姿に復元され、現在は観光案内所・多目的ホールとして使われている。

2009/07/16撮影

Mapion

大杉町通り(大杉町、魚屋町元)

魚屋町通りとの交点から東を眺めたところ。左側の建物は西川産業(ふとんの西川)の元祖、旧西川甚五郎邸。

2009/07/16撮影

Mapion

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ像

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories)は1880年にアメリカに生まれ、1905年に滋賀県立商業学校(現在の八幡商業高校)の英語教師として来日した。以後、この地でキリスト教の伝道に尽力しつつ、医療、福祉、教育に関するあらゆる活動に携わった。建築家としても活躍し、関西地方を中心に約1600棟の建物を設計した。そして、これらの活動を支えるため、メンソレータム(現:メンターム)で有名な製薬企業「近江兄弟社」を創設した。1941年に日本に帰化し、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名、1958年には近江八幡市の名誉市民第1号に選ばれている。
この銅像は、魚屋町通りとの交点にある小公園「ヴォーリズメモリアルポケットパーク」にある。

2009/10/11撮影

Mapion

大杉町通り(玉木町2丁目、正神町)

小幡町通りとの交点(玉木交差点)から東を眺めたところ。

2009/07/16撮影

Mapion

八幡堀

八幡堀と浮舟橋

八幡堀は八幡山城の麓に、豊臣秀次が開町と同時に約6kmにわたって開削した堀。城を防御する堀であるとともに運河としても利用され、秀次は琵琶湖を往来する全ての船にこの堀を利用して八幡に寄港するよう命じた。これが街の発展に大きな役割を果たした。
写真の橋は船の上に架けられており、その風情のある情景から時代劇のロケ地としても頻繁に使われている。しかし、この橋は元からあったものではなく、1995年に市が設置したもの。一時は河川法違反(不法占用)に問われて県から撤去を求められていたが、国土交通省が不法占用には当たらないと判断し、無事残されることになった。

2009/07/16撮影

Mapion

かわらミュージアム

浮舟橋の北側、八幡堀に面した瓦工場の跡地に建てられた、八幡瓦について展示する博物館。

2009/10/11撮影

Mapion

八幡堀

堀に沿って白壁の土蔵が連なり、往時の繁栄を物語っている。

2009/10/11撮影

Mapion

八幡堀

日牟禮八幡宮参道の白雲橋(宮ノ橋)から東を眺めたところ。城下町時代は、この堀の北側(左手)が武家地、南側(右手)が町人地と分かれていたようだ。

2009/07/16撮影

Mapion

八幡堀

日牟禮八幡宮参道の白雲橋(宮ノ橋)から西を眺めたところ。こちらは木々が生い茂り、鬱蒼とした雰囲気。

2009/07/16撮影

Mapion

八幡堀

魚屋町通りの明治橋から東を眺めたところ。
今でこそ近江八幡の街のシンボルとして親しまれている八幡堀だが、戦後の高度経済成長期には汚染が酷くなり、一時は埋め立て計画も持ち上がったという。しかし、地元有志による熱心な清掃活動により美しい景観が取り戻され、現在は周辺一帯が重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

2009/07/16撮影

Mapion

八幡堀遊歩道

明治橋の南西付近。通り沿いには古民家や蔵を改装したギャラリーや、飲食店などが並んでいる。

2009/07/16撮影

Mapion

八幡堀(新町浜)

八幡堀に新町通りがぶつかるこのあたりは「新町浜」と呼ばれ、荷物の上げ下ろしがさかんに行われた場所といわれる。現在は石段が復元され、時代劇のロケにもよく使われている。

2009/07/16撮影

Mapion

八幡堀

新町浜の西側。このあたり(概ね魚屋町通りより西側)は、各通りに面する町家の裏側、つまり通りと通りの中間に「背割排水」「背割りの溝」などと呼ばれる水路が設けられ、八幡堀に繋がっている。これも豊臣秀次によって整備されたもので、今で言う下水道の役割を果たしていたそうだ。また、このあたりは水田を埋め立てて街を造ったところで、水はけが悪かったため、排水路としての意味もあったという。秀次の都市計画の先進性が窺える。

2009/07/16撮影

Mapion

日牟禮八幡宮・八幡山

日牟禮八幡宮参道

白雲館の正面から北へ伸びる通り。鳥居をくぐり八幡堀に架かる白雲橋(宮ノ橋)を渡ると、日牟禮八幡宮の境内となり、こちらも重要伝統的建造物群保存地区になっている。

2009/07/16撮影

Mapion

日牟禮八幡宮参道

参道沿いには和菓子とバームクーヘンで有名な「たねや」のカフェ、レストラン、ガーデン、サロンなどが集まった「日牟禮ヴィレッジ」があり、土産物屋なども建ち並んでいる。この奥には八幡山ロープウェイの乗り場があり、山麓から八幡山城跡までを結んでいる。

2009/10/11撮影

Mapion

日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)

「近江八幡」の地名の由来となった神社。131年の創建と伝わり、譽田別尊、息長足姫尊、比賣神を祀る。毎年3月に開かれる左義長祭りは有名で、近江八幡の名物となっている。

2009/10/11撮影

Mapion

村雲瑞龍寺(八幡山城跡)

八幡山城は標高271.9mの八幡山の頂上に、豊臣秀次によって1585年に築城された。秀次は豊臣秀吉の姉の子であり、秀吉の養子であったが、秀吉に実子の秀頼が生まれると次第に境遇が悪化し、ついには高野山に追放され自害に追い込まれてしまう。秀次28歳、八幡山城築城からわずか10年のことである。
村雲瑞龍寺は、秀次の母が我が子の菩提を弔うために、京都の嵯峨に1596年に建立したのが始まりで、1961年にこの地(八幡山城の本丸跡)に移された。

2009/10/11撮影

Mapion

八幡山からの眺め(南東)

近江八幡市街方面。
右端に縦に伸びている広い道路は小幡町通り駅前大通りで、その奥に大きなビルが集まっているあたりが近江八幡駅。その左側、八幡商業高校のグラウンドから下に伸びているのが新町通り

2009/10/11撮影

Mapion

八幡山からの眺め(東)

安土・西の湖方面。
中央から右にかけて見えるのが瓜生山・繖(きぬがさ)山で、その手前の小さな山が安土城跡のある安土山。中央から左にかけてのやや広い湖は西の湖。

2009/10/11撮影

Mapion

八幡山からの眺め(北西)

琵琶湖・比良山方面。
右端の山の麓の入り江になったところが長命寺港で、その真上、琵琶湖の対岸に見えるのが比良山。左端に見える小さな山は岡山。

2009/10/11撮影

Mapion

八幡山からの眺め(南西)

野洲・近江富士方面。
中央に見えるのが近江富士(三上山)で、その右側が野洲市街。

2009/10/11撮影

Mapion

最後までご覧いただき、ありがとうございます。




滋賀県に戻る

TOPページに戻る




inserted by FC2 system