近江八幡(近江八幡市)

2009年7月16日・10月11日撮影

近江八幡(おうみはちまん)は、滋賀県湖東地方のほぼ中央に位置するまちです。
1585年、豊臣秀次によって八幡山城が築かれ、隣の安土から町を移して碁盤の目状の都市が作られたところから近江八幡の歴史は始まります。八幡山城は開城からわずか10年で廃城となってしまいましたが、秀次が定めた楽市楽座や諸役免除などの政策により、その後も商業都市として発展を続けました。近江の地から全国に進出した商人たちは「近江商人」と呼ばれ、中でもこの近江八幡からは数多くの豪商が生まれました。現在も往時の名残をとどめる古い商家が多く残り、新町通り永原町通り八幡堀日牟禮八幡宮境内地の4地区(計13.1ha)は重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。


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通り名マップ


              ▲ 八幡山城


       │     │
     ===八幡堀====
       ├─┬浜┬─┼通┰┐||   日牟禮  =====
       │ │ │ │ ┃└┐||  八幡宮 ──┬─┬─
       │ │ │ │ ┃ │|| /  ┃   ||│ │
       ├─┼宮┼前┼通╂─┤|| /  ┃   ||│ │
       │ │ │ │ ┃ │======│ │
       │ │ │ │ ┃ ├─┤  ┃    │ │
       ┣━┿━┿大┿━╋杉┿━┿町┯┻┯通┯━┿━┿━━━━━
       寺 寺 池 本 小 新 魚 為 仲 永 博 慈   
       内 内 田 町 幡 町 屋 心 屋 原 労 恩  近江兄弟社
  …─┬─╂─┼─┼京┼─╂街┼─┼道┼─┼筋┼─┼─┼─  学園
     /  西北 町 通 町 通 町 町  町 町 寺
       町 町 通 │ 通 │ 通 通  通 通 町
     ─╂─┼─┼─┼─╂中┼─┼筋┼──┼─┼─┼─
       通 通 │ │ ┃ │ │ │  │ │ 通
      ┃ │ │ │ ┃ │ │ │  │ │ │
      ─╂─┼─┴─┴─╂上┼─┼筋┼─┼─┴─┼─┼────┬
   /    ┃ │    ┃ │ │ │ │   │ │    
  /     ┃    八幡小┃      │        朝鮮人街道
朝鮮人街道  ┃       ┃  八幡商高  │        (至安土)
(至野洲)  ┃       ┃       │
     ━━┻━━県道2号━╋━━━┳━━━┿━━
               ┃   一サ   │
               駅   番ル   出
         官庁街北筋─╂──-街ビ-──┼─
               前   通ア   │
         官庁街中筋━╋━━━┻━━━町━
               大   ◎市役所
         官庁街南筋─╂───────┼─
               通       通
               ┃       │
               ┃       │
               ┃       │
      ━━サンロード筋━╋━駅━前━筋━┿━━
   至       平和堂■┃       │          至
   京┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼[近 江 八 幡 駅]┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
   都       マイカル■       │          原

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駅前大通り

JR近江八幡駅(北口)

近江八幡駅は旧市街から2kmほど離れた街外れに位置する。以前は田園地帯の中にぽつんとある駅だったが、1960年に県内初の土地区画整理が施工され、急激に発展した。今では完全にこちらが街の中心になっている。
駅舎は1981年に改築され、橋上駅舎となった。JRの新快速も停車し、京都とは約35分、大阪とは約65分で結ばれている。JRの駅の南側からは近江鉄道も発着している。

2009/07/16撮影

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近江八幡駅北口風景

駅前からは北に向かって駅前大通り(ぶーめらん通り)が伸びている。

2009/07/16撮影

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近江八幡駅北口風景

駅前から北西を眺めたところ。駅前広場に面して平和堂近江八幡店がある。

2009/07/16撮影

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平和堂近江八幡店の鉄道模型

平和堂近江八幡店には、平和堂の社長が趣味で設置したという巨大な鉄道模型がある。115m2の面積を誇り、琵琶湖を中心に近江八幡、彦根、米原、長浜などの市街地、さらに琵琶湖大橋、近江大橋、比叡山、伊吹山などが再現されている。100円で3分間走らせることができ、琵琶湖には水を溜めて船を浮かべることもできるようだ。

2009/07/16撮影

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駅前大通り(ぶーめらん通り)

駅前大通りは、旧市街と近江八幡駅を結ぶメインストリート。1960年に駅周辺の区画整理が行われた際に新しく造られた。それまでは、旧市街と駅を結ぶ幹線道路は出町通りしかなく、そちらが「駅前通り」と呼ばれていたようだ。
写真は駅前筋・サンロード筋との交点(近江八幡駅前交差点)から北へ進んだところ。近江八幡市街の道路は基本的に、南北の通りは「○○通り」、東西の通りは「○○筋」と名付けられている。

2009/07/16撮影

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駅前大通り(ぶーめらん通り)

新市街であるこのあたりは、比較的新しいお店が多い。

2009/07/16撮影

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駅前大通り(ぶーめらん通り)

「ぶーめらん通り」の愛称は、このあたりで緩くカーブしていることから名付けられた。

2009/07/16撮影

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駅前大通り(ぶーめらん通り)

官庁街南筋との交点(中村町南交差点)から北を眺めたところ。

2009/07/16撮影

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駅前大通り(ぶーめらん通り)

官庁街北筋との交点から北を眺めたところ。ここからさらに800mほど北へ進むと、旧市街の小幡町通りに続く。

2009/07/16撮影

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出町通り

出町通り

出町通りは駅前大通りの東側を並行する通り。元はこちらが「駅前通り」と呼ばれ、旧市街と駅を結ぶ唯一の幹線道路だったが、1960年に新しくできた駅前大通りにその役割を譲った。
写真は近江鉄道の踏切付近から南を眺めたところ。

2009/07/16撮影

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出町通り

駅前筋との交点から北へ進んだところ。

2009/07/16撮影

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出町通り

このあたりから先はしばらく住宅街となるが、1kmほど進んで旧市街に近付くと「てんびんロード商店街」となる。

2009/07/16撮影

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出町通り(てんびんロード)

駅前から1kmほど進み、旧市街に近付いたあたり。このあたりは「てんびんロード」という愛称が付けられているが、商人たちが担いでいた天秤棒に由来するのだろう。

2009/07/16撮影

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出町通り(てんびんロード)

通りは緩やかなカーブを描きながら旧市街に近付く。

2009/07/16撮影

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出町通り(てんびんロード)

2009/07/16撮影

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出町通り(てんびんロード)

2009/07/16撮影

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出町通り(てんびんロード)

上筋との交点から南を眺めたところ。これより北は仲屋町通り(中央通り)となる。
城下町時代はここが八幡の街の入口で、木戸が設けられていたそうだ。

2009/07/16撮影

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近江八幡駅南口

近江八幡駅南口風景

近江八幡駅にはもともと南口は無かったが、1981年に橋上駅舎になって南口が設けられ、同時に周辺で区画整理が行われて徐々に開発が進んだ。現在はマイカルやケーズデンキなどの大型店舗が連なっている。

2009/07/16撮影

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近江八幡サティ

近江八幡駅南口広場に面したところにあるショッピングモール。駅とはデッキで繋がっている。

2009/07/16撮影

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駅前筋・サンロード筋

駅前筋(はちまんチャペル通り)

近江八幡駅の北側を東西に通る道。

2009/07/16撮影

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日本キリスト教団近江金田教会

駅前筋沿いにある教会。ヴォーリズ事務所の設計により、1959年に建てられた。この教会にちなんで、駅前筋には「はちまんチャペル通り」という愛称が付けられており、街路灯もチャペルの鐘をイメージしたものになっている。
ちなみにこの教会は、フォークの神様として知られる岡林信康の実家でもある。
(※ヴォーリズについては大杉町通りの項を参照)

2009/10/11撮影

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サンロード筋(サンロード商店街)

駅前筋を西へ進むと、駅前大通りとの交点より西はサンロード筋となる。

2009/07/16撮影

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サンロード筋(サンロード商店街)

こちらは比較的新しいお店が多い。

2009/10/11撮影

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官庁街中筋

官庁街中筋

新市街と旧市街の中央を東西に貫く通り。その名の通り、沿道には市役所、税務署、警察署、郵便局、文化会館などが建ち並んでいる。1965年から2006年までは市民病院もあった。
もともとこのあたりは広大な田園地帯だったが、1971年に市の一大プロジェクトとして官庁街が造成された。官庁街中筋の南北には並行して官庁街南筋と官庁街北筋が通っている。

2009/07/16撮影

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近江八幡市役所

官庁街中筋沿いに立地する。1971年に、官庁街の造成とともに工費約3億円をかけて建てられた。当時は市内屈指の巨大建築物だったそうだ。

2009/07/16撮影

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官庁街中筋

駅前大通りとの交点から西へ進んだところ。

2009/07/16撮影

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サルビア一番街通り

サルビア一番街通り

市役所の正面から北へ、駅前大通り出町通りの間に伸びる通り。
左側に見えるのはアル・プラザ近江八幡(旧ダイエー近江八幡店・サルビアタウン)。

2009/07/16撮影

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サルビア一番街通り

通り沿いは小さなお店が並ぶ商店街になっている。

2009/07/16撮影

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小幡町通り

小幡町通り(小幡町上)

駅前大通りを北に進み、旧市街に入ると小幡町(おばたちょう)通りとなる。写真は上筋との交点(小幡上筋交差点)から北を眺めたところ。
近江八幡の旧市街は、南北に寺内西町寺内北町池田町本町、小幡町、新町魚屋町為心町仲屋町永原町博労町慈恩寺町の各通りが並び、東西には上筋、中筋(上中筋)、京街道筋大杉町通り(下中筋)、宮前通り、浜通り(片原町通り)が貫き、これらが碁盤の目状の街路を形成している。また、城下町時代は、概ね西部が商人町、北東部が職人町と分かれていた。

2009/07/16撮影

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小幡町通り(小幡町上)

上筋との交点(小幡上筋交差点)からしばらく北へ進んだところ。正面に見えるのが八幡山城のある八幡山(鶴翼山)
城下形成時に、神崎郡小幡村(現:東近江市五個荘)の商人たちが移住してできた町といわれる。隣の本町通りとともに八幡山城の正面にあたるため、道幅も広く、城下を形成する際に町割りの基準になったといわれる。

2009/07/16撮影

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小幡町通り(小幡町上)

中筋との交点から南を眺めたところ。

2009/07/16撮影

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小幡町通り(小幡町中)

中筋との交点からしばらく北へ進んだところ。

2009/07/16撮影

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小幡町通り(正神町)

京街道筋との交点(小幡交差点)から北を眺めたところ。このあたりは「正神町(しょうがみちょう)」というが、かつては「庄神町」と表記したようだ。

2009/07/16撮影

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小幡町通り(玉木町2丁目)

大杉町通りとの交点(玉木交差点)から北へ進んだところ。このあたりの地名「玉木町」は、かつては「玉ノ木町」、あるいは「玉抜」「玉貫」とも書かれ、数珠を作る職人が住んでいたことに由来するといわれる。
さらに北へ進むと八幡堀にぶつかる。

2009/07/16撮影

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新町通り

新町通り(新町4丁目)

新町(しんまち)は小幡町の1本東側の通り。江戸中期から明治にかけての商家建築がずらりと建ち並び、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
「新町」の町名は、安土城下の新町から住民を移住させてできたことから名付けられたといわれる。ただし4丁目だけは「浅小井町(あさごいまち)」と呼ばれていた時期があり、ここは浅小井(現在の近江八幡市東部)の出身者が集まって住んでいたようだ。

2009/07/16撮影

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新町通り(新町3丁目)

2009/07/16撮影

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新町通り(新町3丁目)

近江八幡の町家の庭は、塀の外を見下ろすように「見越しの松」が植えられているのが大きな特徴で、風格ある街並みとなっている。

2009/07/16撮影

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新町通り(新町2丁目)

京街道筋との交点から北を眺めたところ。新町通りの中でも特にこの2丁目の一角は古くて貴重な建築物が多く残っている。
左側の塀は安南屋西村太郎右衛門邸の跡。現在は市立資料館の一部になっている。

2009/07/16撮影

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新町通り(新町2丁目)

右側の建物は、煙草や麻布、呉服などを商っていた一扇屋森五郎兵衞邸。現在も子孫の方が近三商事株式会社として活躍されている。左側は森家の控宅だった建物で、1979年に市に寄贈され、現在は歴史民俗資料館(市立資料館の一部)となっている。
奥に見えるのが八幡山城のあった八幡山

2009/10/11撮影

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旧西川利右衛門邸(新町2丁目)

西川利右衛門家は、江戸時代から明治前半にかけて蚊帳や畳表を扱う「大文字屋」を営んだ。その後子孫が絶えたため、1706年築の主屋(国指定重要文化財)は市に寄贈され、現在は市立資料館の一部となっている。

2009/07/16撮影

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旧西川庄六邸(新町2丁目)

初代西川庄六は2代目西川利右衛門の子で、蚊帳、綿、砂糖、扇子などを商った。現在も食品素材、繊維原料などを扱うメルクロス株式会社として活躍されている。建物は江戸中期の築で、県指定文化財。

2009/07/16撮影

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新町通り(新町2丁目)

大杉町通りとの交点から南を眺めたところ。

2009/07/16撮影

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新町通り(新町1丁目)

大杉町通りとの交点から北へ進んだところ。

2009/07/16撮影

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新町通り(新町1丁目)

さらに進むと、八幡堀に面した「新町浜」と呼ばれる一角に出る。

2009/07/16撮影

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新町通り(新町1丁目)

新町浜から北へ進んだところ。奥に見えるのが八幡堀

2009/07/16撮影

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魚屋町通り

魚屋町通り(魚屋町上)

魚屋町(うわいちょう)は新町の1本東側の通り。城下町時代は魚商が集まっていた町で、「うおいち(魚市)」が変化して「うわい」と呼ばれるようになったそうだ。
写真は上筋との交点から北を眺めたところ。

2009/07/16撮影

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魚屋町通り(魚屋町上)

このまま北へ進むと、八幡堀の明治橋に至る。

2009/07/16撮影

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為心町通り

為心町通り(為心町上)

為心町(いしんちょう)は魚屋町の1本東側の通り。町名はもともと豊臣家に仕えた為心斎が住んでいたことに由来するという。この町からは多くの近江商人たちを輩出しているそうだ。
写真は中筋との交点を南から眺めたところ。右奥に見える教会は日本キリスト教団近江八幡教会。もともとはこの場所に、1924年にヴォーリズが建てた教会が建っていたが、火事で焼失し、1983年に建て直された。日本の町家が建ち並ぶ街並みにうまく溶け込んでいる。

2009/07/16撮影

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アンドリュース記念館(旧近江八幡YMCA会館)

近江八幡教会の東側、為心町通りから中筋を少し東に入ったところにある。ヴォーリズの大学時代の親友であるハーバード・アンドリュースの資金により、1935年に竣工した。2009年8月に国の登録有形文化財に指定された。
(※ヴォーリズについては大杉町通りの項を参照)

2009/10/11撮影

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為心町通り(為心町中)

中筋との交点から北を眺めたところ。

2009/07/16撮影

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為心町通り(為心町元)

京街道筋との交点から北を眺めたところ。
左側の建物は旧岡田彌三右衛門邸。岡田家は江戸時代に商家「恵比寿屋」を営なみ、蝦夷地(現在の北海道)の開発に携わった。

2009/07/16撮影

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為心町通り(為心町元)

2009/07/16撮影

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仲屋町通り(中央通り)

仲屋町通り(仲屋町上・中)

仲屋町(すわいちょう)は為心町の1本東側の通りで、南は出町通りに続いている。「中央通り」とも呼ばれる。ここは城下町時代、仲買商人の町だったところで、町名は商売の仲買を意味する「すあい」に由来するという。
小幡町通りが拡幅されて駅前大通りと繋がるまでは、この通りが近江八幡駅と旧市街を結ぶ唯一の幹線道路だったため、通り沿いはかつての商店街の雰囲気が残っている。

2009/07/16撮影

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仲屋町通り(仲屋町中)

この通りの上・中はかつての朝鮮人街道(京街道)にあたり、「あきんど道商店街」が組織されている。京街道筋とは直交しているが、そこで街道のルートが直角に折れていたということだろう。

2009/07/16撮影

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旧八幡郵便局(仲屋町中)

ヴォーリズの設計により、1921年に竣工。1960年に宇津呂町(現在の場所に移るさらに前の場所)の製糸工場跡地に移転するまで、約39年にわたって近江八幡郵便局の局舎として使われていた。現在はヴォーリズ建築の保存活動団体「一粒の会」の活動拠点になっている。
撮影時は「ヴォーリズ展in近江八幡」の開催により内部が公開されていたが、老朽化が激しいため、2階は人数制限がされていた。
(※ヴォーリズについては大杉町通りの項を参照)

2009/10/11撮影

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仲屋町通り(仲屋町中)

京街道筋との交点付近を南から眺めたところ。朝鮮人街道(京街道)のルート(あきんど道商店街)はここを左折することになる。

2009/10/11撮影

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仲屋町通り(仲屋町元)

2009/07/16撮影

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永原町通り

永原町通り(永原町上)

永原町(ながはらちょう)は仲屋町の1本東側の通り。安土城下の永原町から住民を移住させてできた町で、多くの豪商を輩出したという。この通り沿いは特に古い建物が多く残っており、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
写真は上筋(朝鮮人街道)との交点を北から眺めたところ。碁盤の目状の八幡城下では珍しいT字路になっている。正面の突き当たりに見えているのは野間清六邸の本宅。

2009/07/16撮影

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永原町通り(永原町上)

中筋との交点付近から南を眺めたところ。

2009/10/11撮影

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永原町通り(永原町上・中)

中筋との交点を南から眺めたところ。右側手前の洋風の建物は、ヴォーリズによって1933年に建てられた旧村岡邸。
(※ヴォーリズについては大杉町通りの項を参照)

2009/07/16撮影

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永原町通り(永原町中)

京街道筋との交点から南を眺めたところ。

2009/07/16撮影

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永原町通り(永原町元)

大杉町通りとの交点から南を眺めたところ。

2009/07/16撮影

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博労町通り

博労町通り(博労町元)

博労町(ばくろちょう)は永原町の1本東側の通りで、「馬喰町」とも書かれる。馬の売買に従事する人々が住んでいた町で、路上に馬を繋ぐため他の通りよりも道幅が広くなっている。城下町時代は豊臣秀次の掟により、近江国(現在の滋賀県)内の馬は全てここで売買するよう定められていたという。
写真は中筋との交点から北を眺めたところ。かつてはこのあたりに市役所があったそうだ。

2009/07/16撮影

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博労町通り(大工町)

大杉町通りとの交点より北は、大工町の一部となる。その名の通り、城下町時代は大工が集まって住んでいたそうだ。

2009/07/16撮影

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慈恩寺町通り

慈恩寺町通り(鍛冶屋町)

慈恩寺町(じおんじちょう)は博労町の1本東側を通る、八幡城下最東端の通り。安土の慈恩寺から住民を移住させてできた町といわれる。
写真のあたりは鍛冶屋町(かじやちょう)と呼ばれ、鍛冶職人たちが住んでいたそうだ。

2009/10/11撮影

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ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ住宅)(慈恩寺町元)

1931年にヴォーリズが自ら設計・建築し、後半生を過ごした邸宅。下見板張り、両開きの窓、暖炉の煙突など洋風の特徴を持ちつつ、内部には夫人のための和室も設けられている。県指定有形文化財。
(※ヴォーリズについては大杉町通りの項を参照)

2009/10/11撮影

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慈恩寺町通り(新左衛門町、大工町)

写真のあたりは新左衛門町になる。町名の由来は、新左衛門という有力な大工がこの土地を所有していたことによるという説が有力とのこと。

2009/07/16撮影

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▼近江八幡(近江八幡市)その2に続く▼


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